国立療養所大島青松園に行く



 少し前の話で恐縮だが、7月23日、ハンセン病療養施設である香川県大島の大島青松園へ、23名の勤務校の高校生と一緒に行く。徳島県人会の方々との交流のためだ。学校からバスで一時間、高松港から官有船で二十分。静かな島は、変わりなくそこにあった。


 基本的なことを確認しておく。ハンセン病の原因は結核菌の仲間の細菌。以前は「癩(らい)」とも言われた。弱い菌だが、顔面。手足の指などの欠落など、病変が目立つところに出るので、患者は長い間社会的に差別されてきた。1943年にプロミンという特効薬が開発されたにもかかわらず、1996年にらい予防法が廃止されるまで、日本では隔離政策により、患者は療養所に強制入所させられてきた。現在入所されている方々は、病気からすべて回復した人々。後遺症が残っており介助を必要としている人と、社会や家族との関係で入所が必要な人々である。


 今回は民芸部の人形浄瑠璃公演が、学校側の出し物。人形浄瑠璃は、テレビやラジオが普及する前の庶民の娯楽のひとつで、一般にも広く親しまれていた。オイラの勤務校は、2001年から毎年大島青松園との交流を積み重ねており、本校の公演を楽しみにして下さっている方々もいる。


 演目は「三番叟」と「傾城阿波鳴門 巡礼歌の段」。「傾城阿波鳴門 巡礼歌の段」は、別れた両親を探して巡礼する娘おつるが、偶然母の元へやってくる。母は自分の娘であることに気づくが、母であることを名乗れず涙をこらえて追い返す。四国には、病気にかかった子どもを巡礼に出すという風習もあった。娘おつるの姿は、子ども時代から家族と切り離されてきたハンセン病回復者の人々とピタリ重なる。


 上演後、「よかったよ」と、97歳の最高齢の方に言われて、ああ来てよかったとしみじみ思う。その方は病気の後遺症で目が見えない。人形はみえなくても、太夫浄瑠璃節を聞けば、故郷徳島を思い出すことができる。太夫浄瑠璃節に合わせて、浄瑠璃を口ずさんでおられたのにはビックリ。皆さんいつまでも長生きしていただきたいと思う。


 また、大島では瀬戸内芸術祭が行なわれていて、アート作品の展示があった。300円を払うと観覧ができると聞き、昼休みの食事の時間に作品観賞に行く。作品は、なんと大島青松園の療養施設の入所者の暮らしていた寮の空き部屋の中にあった。


 「つながりの家」は、入所者の方の遺された部屋や生活用品を、寮の中に展示する。七輪や石臼にまじって、義足や白杖、ハーモニカなどを展示した「大島資料室」、入所者故鳥栖喬氏の遺した写真と島に唯一残る木舟が展示されている「海のこだま」。また、海に打ち捨てられていた昔の石の解剖台も、屋外に展示されていた。


 6畳一間の単身者の寮の部屋に残る生活感、当時を彷彿とさせる写真に、人々の生活の様子が立ち上がり、数十年前のそこにいるかのような錯覚にとらわれた。小さな展示だったが、場所の持つ力、芸術の持つ力につくづく圧倒されたのだった(夏は9月1日まで)。