上杉隆・烏賀陽弘道「報道災害【原発編】−事実を伝えないメディアの大罪−」幻冬舎新書



 本書のなかから、印象的な発言を拾ってみた(タイトルは引用者であるフルタがつけた。なお話し言葉を書き言葉に少し変えてある)。


 日本のメディアはジャーナリズムであることを放棄している

 
 今回の東京電力福島第一原発事故の例が示すように、日本の大手メディアは自らの既得権益にのみ汲々として、結果として政府と東京電力の「犯罪行為」に加担してしまっている。基本的に権力側は情報を出したがらないものなのに、情報を出せ、と迫ることすらしない。権力を監視していくことがジャーナリズムの最低限の役割なのに、情報開示を迫るフリーランスの記者たちが記者会見の場から締め出されることにも異議を唱えなかった。日本のメディアはジャーナリズムであることを自ら放棄しているようなものだ。国際的にフェアな仕事のできない日本のメディアに関わることは、自分自身も犯罪に加担しているととられる可能性がある。ジャーナリストとして、これ以上国家的犯罪に加担したくないと思った。(27ページ)


人的被害を食い止められなかったことは本当に悔しい


 少なくとも3月12日までに1、2、3号機はメルトダウンしていた。自由報道協会のメンバーはほとんどメルトダウンの可能性ありと言っていたから、事実上、全員、干されたり、デマ扱いとか、インチキ扱いされた。だからといって、今、名誉回復がされるかというと、そうはなっていない。メルトダウンという情報を報道も含めて2ケ月隠蔽したことで、そこから推測されるような健康被害、人的被害を食い止められなかった。本当に悔しい。もし早い段階でわかっていれば、対処の仕方が違っっていた。メルトダウンを既存メディア、政府、東電が2ケ月間認めなかったことの罪は本当に重い。(272ページ)


 フリーランスは誰ひとり得なんかしていない


 日本では普通に記者活動をしようとすると、どんどん孤立していく。こっちがおかしい人に思われちゃう会見の空気に、もう耐えられない。日隅さんも木野さんも僕も会見に出るのはボランティア。むしろ時間もお金も減っている。既存メディアは全員サラリーマンだから、会見に出れば給料が出るし交通費が出る。僕は車で行っているから駐車場代を払って、他の仕事をキャンセルしながら会見に出る。日隅さんは弁護士の仕事も全部クライアントにストップしてもらって出てくる。木野さんはお金なくてずーっと泊まり込みでお弁当の生活。それで1ケ月東電会見に通い続ける。フリーランスは誰一人として得なんかしていない。それなのに「あいつらは自分の金儲けに熱心だ」と誹謗中傷される。だんだん心が折れてくる。(74ページ)


多様なメディアに情報公開する大切さ


 多様なメディアに情報公開することがなぜ大切なのか。記者会見は情報発表したり追及したりするだけではない。原発に関しては海外メディアもフリーの独自にたくさんの情報を持っている。それを質問でぶつけることが、権力側にとっても情報収集になる。それなのに最初に閉ざしてしまっていたから、3月15日前後に最も高い線量の放射能が放出されたときは何もできなかった。もう手遅れだった。(31ページ)


記者クラブの罪


 新聞・テレビがさらに罪を重ねているのは、自分たちが新聞を届けられない、新聞も発行できない、取材もできないのにもかかわらず、取材源である官邸の情報を自分たちだけで独占しようとした。震災後、インターネットを見られる状況にあった人はいる。被災者にちゃんと届く情報を発信しているインターネットや雑誌記者を大手マスコミは会見の場から排除してきた。はっきり言って、ライフラインを止める、情報源を止めるってことは殺人に加担していると言ってもおおげざではない。報道がやるべきことと全く逆。(35ページ)


批判を受けない組織は腐敗する


 新聞もコメディだが、それと同じ構図が東京電力にも当てはまる。
 批判を受けない組織っていうのは、、長年やると腐敗する。自己批判もしないし。一切、他者かあお批判も受けない組織は、完全に社会から遊離しちゃってコメディになる。オウム神理教と一緒。彼らの中の身内の論理が組織の中を支配しちゃう。(261ページ)


何がなんでも潰さなければならない


 これまで僕は浅野健一さんなどの記者クラブ廃止論は極端だと思っていた。今は違う。何がなんでも潰さなければならないと思っている。先日、浅野さんに不明を詫びた。(38ページ)