山下祐介「限界集落の真実−過疎の村は消えるか?」


限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)

限界集落の真実―過疎の村は消えるか? (ちくま新書)


 本書は、限界集落の問題を正面からみつめた好著。限界集落とは、65歳以上の高齢者が集落の半数を超え、社会的共同生活の維持が困難な集落。2007年には、マスメディアが限界集落を取り上げ、191もの集落が過去7年間に消えたといった報道がなされたが、実際に高齢化が直接の原因で消滅した集落は、今のところほとんどないという。高齢化よりも、ダム移転、災害移転、行政による集落再編など、何らかの人為的作用が働いた事例が多く含まれているとのこと。実は限界集落は、これからの問題であり、今後の取り組みが重要であると著者はいう。


いらない地域は切り捨てるという視点は、国家=中央からの目線である


 しかし世間は無理解だ。よく聞かれる意見として、「限界集落のような効率の悪い地域には、消えてもらった方がいいのではないのか」という考え方に、著者は疑義を唱える。何をもって「効率が悪い」とするのか。その線引きはどうするのか。極論を言えば、老人や子どもは必要ないということにならないか。効率の問題は、確かに重要な問題のひとつではあるが、すべてではない、と。
 いらない地域は切り捨てるという視点は、国家=中央からの目線である。そこには「暮らしの安全・安心・安定」といった考え方からはじまって、我々ひとりひとりが、地域社会や日本社会を設計する主体なのだという本質的な問いかけが抜け落ちている。考える主体として、我々一人ひとりから出発するべきなのだ。


 以下引用。「日本社会はもはや一体化してしまっているので、そこに現れる中心も、周辺も、その全体の中で理解されなければならないものだ。しかし、この中心−周辺システムは、システム自身が自身の全体像を認識することが非常に不得意なシステムのようだ。なぜか。右に述べたように、周辺から中心はよく見えているのだが、中心から周辺を見るのはきわめて難しいからだ。中心地帯には、政治・権力、財・経済、文化・メディアが過度に集中していながら、その認識は浅く、薄い傾向がある。中心は、パースペクティブの非常に乏しい座だ。中心からの周辺への一方向的な不理解。問題の核心の一つはここにある」(268ページ)


 「グローバル経済下において、我々は静かな戦争を戦っている。この経済戦争に勝たなければ日本の将来はない、そのためにも産業の合理化・高度化を図るべきだというこの考えは、グローバル化という避けられないものへの対応として、強い説得力を持ちつつある。しかし、結局その戦いのために「暮らし」を犠牲にするのなら、結果は、戦争に勝とうが負けようが同じことだ。暮らしの側からすれば、戦時下の大政翼賛会と同じく決して受け入れられる論理ではない」(271ページ)


 上記2カ所の記述の他にも、示唆に富む箇所が多くあり、書きぶりから、筆者の誠実さとセンスを感じることができる。大いに触発される。


 集落点検−再生のための徳野貞雄氏の取り組み


 集落再生のためのプログラムも取り上げられていて、とくに、熊本大学教授の徳野貞雄氏の集落点検の取り組みは印象に残った。集落点検は以下のようにやる。まず、集落の方に集まってもらって、模造紙にそれぞれの家ごとの家族構成を書く。これだけだと、年寄りだけの寂しい集落地図。そこに、集落から外に出ていった人を書く。そして、そのうちの何人かは、しょっちゅう戻ってくる、立派な村の一員であることに、村人は気づかされるのである。
 徳野氏は「かえってこいと言えばいいんじゃ」とけしかける。「帰ってこんでもええってゆうてしまっとったやろ」しかしこのままでは家もむらも存続が怪しくなる。「そろそろ帰ってきたらええ。そう言わんか」
 この下りでは、思わずオイラはほろっときた。可能性はあるのだ。集落点検は、そのことに気づかせてくれる。必要なのは、自分たちのなかの可能性を探して、努力をしてみることなのだ。


 「筆者自身は基本的に、安定までには時間はかかっても、ごく自然の流れの中で、多くの限界集落は再生・維持されると思っている。多少は規模縮小しても、周りの支えがあれば、それほど大きなコストをかけずとも多くの集落は残っていくだろう。
 怖いのは、限界集落論の持つ罠である。
 負の予言に惑わされ、それほど大きなコストでもないのに、効率性の議論に引きずられて取り返しのつかない結果を引き起こすようなことが、現在の中央における地方への認識のもとではありうるのではないか。この問題に、政府や省庁、中央メディアが深く関わってしまっており、みな当事者である。しかし、中心にいる人ほど、周辺が見えない構造があり、全体が見えないまま、思い込みから行う実践が、破滅に導くことがありうると思うからだ。不理解から繰る破壊的作用。実際、すでにこの20年ほど、我々はそれをどれだけ日本各地で見てきたことだろう」(273ページ)