徳野貞雄「農村の幸せ、都会の幸せ−家族・食・暮らし」生活人新書


農村の幸せ、都会の幸せ 家族・食・暮らし (生活人新書)

農村の幸せ、都会の幸せ 家族・食・暮らし (生活人新書)


 きっかけは「限界集落の真実」である。徳野貞雄氏のことが紹介されていた。「髪の毛はチリチリで、目は小さく、めがねをかけ、大柄というよりははっきり言って太ったその風貌」「関西弁と、現在の九州弁、そしておそらく熊本大学の前に赴任していた広島弁の奇妙なちゃんぽんで、ときには笑わせながら、ときには怒りながら、聴衆を引き込んでいく」
 「帰ってこいと言えばええんじゃ」「帰ってこんでもええってゆうてしまっとったやろ」「そろそろ帰ってきたらええ。そう言わんか」それを聞いて、この人のことをもっと知りたい、そう思ったのだった。


 徳野氏は熊本大学文学部総合人間学科地域社会学教授。「食と農の専門家として日本全国の農村に出かけ、フィールドワークをこなす活動派」とのこと。本書は2007年初版だが、古びた感じはしない。興味深く読んだ。氏の人柄やユーモアが行間からにじみ出るような筆致は、まるで氏の講義を聞いているよう。農業の基本的なことを知らない、玄米と籾米の区別がつかない学生のことを例にあげて「私は、日本の米のことを、生産、生育、さらには玄米、糠、胚芽付き米というところまでわかっている人のことを「日本人」と呼び、その意識が曖昧な人を「ジャパニーズ」と呼んでいます(28ページ)」などは思わず声をあげて笑ってしまった。


 転換点は1960年だと言う。400年以上続いてきた安定的な時代が終わった。家族や学校、会社や近隣社会での人間関係の在り方が、基本的に変わった。昭和30年以前に物心ついた人は、室町時代にタイムスリップしても生きていける。かまどでご飯も炊けるし。日本の地域社会の原型である「ムラ」は、室町時代に形づくられたのだ。
 日本のムラは、高度に発展した「地域機能共同体」。相互扶助組織であるだけでなく、共通課題に対して、集団的にまとまり、資金調達も含めて組織化され、高度な計画を作り、井戸、ため池、林道・農道、集会施設や学校まで作ってしまう。祭りによって、機能的共同原理と行動様式を、子供たちに継承し訓練する。日本が明治以降、急速に産業化・近代化できたのは、そうした機能的共同体の訓練、技術、精神を養ってきたからだ、と筆者は言う。


 「ムラが壊れるということは、単に農業や農村が衰退していくということではありません。日本人が、日本社会の持っている機能的共同性が弱体化するということなのです。農業・農村の持つ意味を、単に農業の経済的視点から見ている経済界の人は、自分で自分の首を絞めているところもあります。多くの企業の人事課が、若い新入社員の個人主義的性格や全体像の把握力の弱さに悲鳴をあげていると思います。だから、小学校も中学校も必死になって、壊れていくムラの原理と精神(機能的共同性)を訓練しようとしています。それが運動会や文化祭、修学旅行などの集団行動的な教育です(47ページ)」


 いろいろなことがつながりあっている。先のエントリーでも触れた祝島の人たちが、30年間も原発反対運動を続けていくことができたのも、実はムラの持つ機能的共同性の力。欧米の人たちが驚嘆したのも恐れたのも、こうした力を日本に住む人々が持っていたから。今やこうした力は著しく衰えた。
 最近は話題になることも少ないが、日本に徴兵制を復活だとか、ボランティアの義務づけだとかが議論されたことがあった。そんな意見も、機能的共同性をどう取り戻すかを考えた末の短絡的な帰結だとオイラは思う。




 《こんな内容です(第1章)》

 
■日本は豊かになったが、どこかおかしい。自殺者が増えた。子供が極端に少なくなった、家族や学校、会社や近隣社会での人間関係の在り方が、基本的に変わった。暮らし方のリズムやシステムが大幅に変わったのではないか。
■日本の歴史は、稲作をめぐるさまざまな関係の総体である。転換点は1960年。400〜1500年続いてきた安定的な時代が終わり、大変動の時代になった。以後の社会が住みやすいかといえばそうではない。その前は縄文中期か後期の頃。武士は農民から生まれた。日本の地域社会の原型である「ムラ」は、室町期に生まれている。自然観もまたしかり。
■学生は農業の基本的なことを知らない。玄米と籾米の区別がつかない。田圃と畑の違いもよくわかってない。50代以上の人にとっては、米は何物にも代えがたい主食、若い人たちには、パンやパスタと同じ主食のひとつ。日本の米のことを、生産、生育、さらには玄米、糠、胚芽付き米というところまでわかっている人のことを「日本人」と呼び、その意識が曖昧な人を「ジャパニーズ」と呼んでいる。
■日本人の米作りへの執念は、日本全国に水田を作ったことだ。土地を水平に保ち、遠くから水を引き、水を入れても漏れないようにした。それは万里の長城にも匹敵する。
■稲作はすごい。まず再生産能力が高い。一粒の米から2000〜3000粒は収穫できる。麦なら500〜600粒、とうもろこしはもっと少ない。第二に、米はほぼ完全栄養食である。簡単に食べられる。第3に、栄養の多くは水から摂るので、持続的に作り続けられる。
■日本に稲作は、世界最高水準の生産装置と生産技術がある。発展途上国で最も役に立つ技術は、有機堆肥の作り方や井戸掘りの技術、牛の種付けなどスモールテクノロジーである
■日本のムラは、高度に発展した「地域機能共同体」である。相互扶助組織であるだけでなく、共通課題に対して、集団的にまとまり、資金調達も含めて組織化され、高度な計画を作り、井戸、ため池、林道・能動、集会施設や学校まで作ってしまう。また祭りによって、機能的共同原理と行動様式を、子供たちに継承し訓練する。そうした機能的共同体の訓練、技術、精神を養ってきたから、日本は明治以降、急速に産業化・近代化に成功した。
■ムラが壊れるということは、単に農業や農村が衰退していくということではない。日本人が、日本社会の盛っている機能的共同性が弱体化するということである。多くの企業の人事課が、若い新入社員の個人主義的性格や全体像の把握力の弱さに悲鳴をあげている。
■雨を表す言葉は65くらいある。フランス語だと15。砂漠地帯だと3つくらい。