吉田道雄先生の「またあしたっ」評について


 なんというサプライズ。僥倖にめぐり合った。タカギカツヤ作「またあしたっ」に関してである。「またあしたっ」は昨年11月、高校演劇県大会でオイラが顧問をつとめる演劇部が上演した作品。その劇評を、海部高等学校の演劇部顧問である吉田道雄先生が書いて下さったのである。


 芝居は演じ手が演じただけでは完成しない。観客のいないところで上演するだけなら、それは作り手の自己満足に過ぎない。見る者によって作品は命を与えられる。ゆえに、明晰な知性と誠実さで芝居を読み解いた吉田先生の劇評に出会い、ぼやけていた作品の輪郭がくっきりと浮かび上がる感じを経て、ああ、やっと芝居が完結した、とオイラは実感できた。芝居を作るためにかけた膨大な時間と手間は、実は吉田先生にこの文章を書いてもらうためにかけたものだったのかも知れない。


 そして同時に、毎日芝居や本や映画の感想をブログに長文を書き連ねているオイラの行為の意味を考えるきっかけにもなった。いくら優れた上演でも、見る者がいなければ意味がない。だとすれば、リカバリーショットにこそ意味がある。自分の表現物が、どこかの誰かに影響を与えていることを夢想する。それは何て素敵なことなのだろう。


 劇評の中で吉田先生は「ホリゾント」という冊子に触れてくれた。「ホリゾント」は、1999年、県内の演劇部顧問・生徒の原稿を集めて作った200ページ以上もある冊子。昔の冊子を、若い顧問の吉田先生が読み、なおかつ内容を覚えていてくれたのには本当に驚かされた。


 今編集している冊子「四国高演協だより2011」も、かつて「ホリゾント」でやろうとしたことの復活戦のつもりで作っている。前にも書いたが、今から20数年前のこと。新米演劇部顧問のオイラは、赴任先の演劇部の倉庫から、埃をかぶった過去の県大会や四国大会の資料を発見し、むさぼり読んだ。それと同じように、何十年か先の顧問や生徒が、ふとしたきっかけでオイラの書いたものを見つけだし、熟読してくれたら、これに代わる喜びはない、と思っていたら、それがすでに実現していたのだ! 10数年ぶりのリカバリーショットである。

 
 吉田道雄先生の許可を得て、吉田先生の劇評をここに掲載します。3/5付エントリーをご覧下さい。