武長脩行『「友だちいない」は“恥ずかしい”のか』平凡社新書

 

「友だちいない」は“恥ずかしい”のか (平凡社新書)

「友だちいない」は“恥ずかしい”のか (平凡社新書)

 孤独力とは、孤独に打ち勝つ力のことではない。他人や社会に極端に依存することなく、ひとりになることができる力のことである。ひとりは、「恥ずかしい」「暗い」ことなのか。いま、「集団帰属」への強迫が社会を覆っている。それを払拭し、本当のつながりが持てる人間になるために、孤独力を身につけて、自立的な自分を取りもどそう。


 サブタイトルには「自己を取り戻す孤独力」、帯には「誰かとつながっていないとなんとなく不安なあなたへ」とある。客観的な研究を披露する書ではない。孤独になることを不安に思う、現代の若者に向けた一種の「カウンセリング本」という趣である。
 文体も敬体でわかりやすく書かれている。分量もそれほど多くなく、手にとりやすさ、読みやすさを狙った本であろう。

 
 オイラ自身のことで恐縮だが、本書の言う「集団帰属への強迫」を、生育過程で自覚したことはあまりない。これは、生育歴や育った時代のせいである。40年前は「集団から一線を画すこと」がニヒルでカッコイイと思われていた。共同体からの同調圧力は、今とくらべものにならないほど高かったから、それをはねのけ一人で生きることは、主体的な行動と見なされていたと思う。
 また、個人的なことを言うと、オイラは一人っ子だったから、集団帰属の欲求がそれほど強くなかったということもあると思う。


 現代では、狭い意味でのコミュニケーション能力の多寡が、人間的価値を決めると言う。人間関係を適切にこなす者が、優秀なヤツと見なされるようになった。勉強ができるだけでは尊敬される時代ではなくなった。
 土井隆義「友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル」(ちくま新書)は、この変化を「人間関係の規制緩和自由主義化」と呼んだ。相手と適度な距離を保ちながら、相手や自分を傷つけず、人間関係をこなしていかなければならない。厄介な気遣いを強制させられる場合もある。こんななかで生活している若い人たちは、さぞ窮屈だろうとつくづく思う。


 本書には、こうした世の中をどう生き抜いていくかのヒントが書かれている。内容は、典型的な大学の教養講座風の内容で、こういうアドバイスを年長者の「余計なお世話」と思うか思わないかは、個々人の問題だろう。