探偵はBARにいる



 (結末に触れています)
 とてもよくできたエンタテインメントで感心した。ストーリー、演出、美術、キャスティング、カメラワークなど、細部まで凝っており飽きさせない。何よりも札幌の街が非常に魅力的に撮られている。タイトルバックは札幌の空撮。ロケ地に足を運びたい誘惑に駆られた。


 推理小説の映画化らしく、ストーリーは結構複雑。いくつかの事件がつながって全体像を結ぶのは、ラスト近く。それでも混乱や退屈することなく、ラストまで引きつけるのは、見せる工夫が細部まで行き渡っているからだろう。たとえば探偵が悪徳弁護士の事務所を訪ねる場面では「置かれたいかにもな調度品や彫刻の数々」「なぜか机の上にいる本物のイグアナ(のアップ)」「女性秘書のミニスカートとパンチラが見えそうになって探偵が我を忘れかける」という小技が、本筋とは別にしかけられている。1カット1カットに見せる工夫が詰めこまれており、密度が濃い。まさに「神は細部に宿る(byミース・ファン・デル・ローエ)」である。


 加えて過去の映画に対するオマージュがいろいろなところに見られ、映画ファンの感涙を誘う。「英雄好色」(男たちの挽歌!)と書かれたピンサロ(?)の看板、「ノー・カントリー」のハビエル・バルデム風の殺し屋(高嶋政伸)、探偵が車の上に乗って望遠鏡で覗いているシーンは、ルパン3世風・・・・。また、松田龍平の起用は、父親の松田優作東映セントラル第1作「最も危険な遊戯」やテレビ「探偵物語」を連想させる。


 そうした凝った細部だけでない。この作品、なかなかどうして骨太である。ドラマの芯にあるのは「人間には決して譲り渡すことのできない矜持がある」ということへの尊敬である。(ここからネタバレ)愛する夫(西田敏行)を殺された小雪扮する未亡人は、夫を殺したヤクザに乗り換える尻軽女にみせかけて、ラスト、自らの結婚式の披露宴会場でヤクザの父子等を撃ち殺し、夫が殺された復讐を遂げて、自殺する。愛する夫に対する思いがブレないがゆえの悲劇である。


 冒頭に印象的なセリフがある。人間の本性をオセロにたとえて探偵が言う。「表と裏。白と黒。簡単に裏返る。人間と同じだ」。しかし、本作が言わんとすることは、その反対だ。人には譲り渡すことのできないものがある。そうしたストイックな精神の純粋性こそ、ハードボイルドと呼ばれる多くの先行する名作が描き続けてきた心情。本作は、そこをきちんと押さえているがゆえに、正調ハードボイルドの系譜に連なる正統的な作品として、語り継がれていく作品だとオイラは確信する。


 唯一注文をつけるとすれば、上映時間。香港映画などが90〜100分くらいでまとめるのに比べると、2時間5分は長い。かといって長さはそれほど感じないのだが、大作風ではなく潔く東映セントラル的プログラムピクチャーとしてまとめた方が、この作品には似合っているように思われる。東映東映的な作品であるがゆえに。


初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)

初秋 (ハヤカワ・ミステリ文庫―スペンサー・シリーズ)


 「探偵はBARにいる」を見て、ふと思い出したのは、この「初秋」だった。ストーリーや内容はまったく違うのだが「高貴な精神」を扱っているという点では同じ。少年が自立し、両親から離れるようにするため、力を貸すスペンサーのストイックさに、心打たれる名作。