最強のふたり


Intouchables

Intouchables


 いわゆる「いい映画」である。笑いあり涙あり、難解なところもないので、安心して万人に薦められる。パラグライダーの事故で首から下が不随になった大富豪(フランソワ・クリュゼ)と、ふとしたことから介護役を引き受けた黒人青年(オマール・シー)との交流。監督エリック・トレダノオリヴィエ・ナカシュ。2011年。フランス映画。見たい映画はオイラの住む地方都市には来ない。70km離れた隣県のシネコンで観た。


 実話の映画化というが、実話らしさはない。それは「ドラマ」がきちんと構築されているからだろう。構造は単純である。体が不自由な大富豪と、貧しい移民の黒人青年という、おそらく普通は出会うはずのない、まったく違うふたりが出会い、互いに影響され、共感を深めていく。古今東西、何百回と描かれた「よくある」パターン(安心のパターン)で、映画的に新味があると言えば、ふたりが介護される側(大富豪)と、介護する側(黒人)という立場にあるというところか。


 大富豪は、黒人青年のセックス、スピード、喫煙、麻薬、アース・ウインド&ファイアーといった「文化」を理解し受け入れる。「魔笛」を見ながら嗤いころげた黒人青年もまた、大富豪の背景にある教養や「文化」を理解し、クラシック音楽に自分のイメージを重ね優れた現代美術作品を描いたり、ダリやゴヤの話ができるようになる。ふたりの交流に「文化の相互理解」が介在する。欧米のドラマでは、お互いが対等に交流し成長するためには「文化」が不可欠であるという「常識」の上に成り立っている典型的な作品であり、日本映画では、なかなかこうした視点の作品はない。


 印象的な場面は数多くあったが、富豪の誕生日、クラシック楽団と愛好者を前に、アース・ウインド&ファイアーの「ブギー・ワンダーランド」をかけて黒人青年が踊りだす場面の高揚感が忘れられない。破天荒で屈託のない黒人青年の魅力が全開になる場面であり、ダンスや音楽の持つ意味を考えさせられた。佐々木中氏によると、アフリカのバントゥー族のある部族の挨拶を逐語訳すると「何を踊るの?」になるという。「こんにちは」「こんにちは」という会話が、彼らの言葉では、「お前は踊ってる?」「踊ってるよ、踊ってる?」「踊ってる!」になる。アフリカの人々にとってのダンスは、日常生活そのものであり、生きることそのもの。この場面のダンスや音楽は、単なる嗜好物ではない。踊ることは生きること。ダンスが「生」を謳歌する黒人青年の「ライフスタイル=文化」を象徴しているからこそ、彼のダンスには感動させる力があるのだとオイラは思った。