磯部涼「踊ってはいけない国、日本−風営法問題と過剰規制される社会」河出書房新社


踊ってはいけない国、日本 ---風営法問題と過剰規制される社会

踊ってはいけない国、日本 ---風営法問題と過剰規制される社会


 上のエントリで触れた佐々木中氏の話は、この本の「踊れ我々の夜を、そして世界に朝を迎えよ」にあります。まさにダンスが生活とともにあると実感できる文章です。本書のレビュウは後日。


 (引用はじまり)
 たとえばアフリカのバントゥー族についての十九世紀の報告で、こういうのがある。ある部族での挨拶を逐語訳するとどうなるか。「何を踊るの?」となるんです。すごいでしょう? 「こんばんは」も「さようなら」も「おはよう」も「こんにちは」も全部同じ言葉なんです。「こんにちは」「こんにちは」という会話が、彼らの言葉では、「お前は踊ってる?」「踊ってるよ、踊ってる?」「踊ってる!」なんですよ。当然で、彼らの井戸汲み、狩り、育児、農作業のしぐさは、腰の曲げ方を中心として、みんな祭りのダンスと同じ身体の使い方をしているんです。彼らの生をつらぬくリズムは祭りのダンスと同じで、だから彼らの日々の明け暮れをダンスと区別する必要は、ない。


 ガーナにアシャンティ族という、アフリカの人びとのなかでもダンスの達人と呼ばれる人びとがいる。彼らに白人が「君達はどうしていつもダンスを踊ってるの?」と訊いた。アシャンティ族の知識人は何と答えたか?「俺たちがなんでいつもダンスを踊っているかだって? 俺たちが生きているからさ。石じゃないからダンスをするんだ。お前らは今までに石がダンスをするのを見たことがあるのか?」(131ページ) 
 (引用終わり)