マイケル・ウッドフォード「解任」早川書房


解任

解任


 これはある日本人の同僚Aと真やのバーで交わした会話です。私たちは窓際のソファに陣取り、ジントニックを呷りながら、私が今後取るべき道について、二時間近く議論を重ねました。


 「このまま走りつづければ後戻りできなくなるかもしれない」私はAに言いました。「最悪の事態にもなりかねない」


 Aは典型的なサラリーマンでした。会社に忠実な、真面目な人間でした。だからこそ、私はAの見解を求めたのです。


 「でも、マイケル、もしあなたが見過ごせば、問題は次の世代に引き継がれてしまいます」


 Aはこう言ってから、ジャイラスの買収に関わった東京本社の幹部の判断に賛成できないと告白しました。普段はそんな批判を口にする人物ではないにもかかわらず。


 「会社の将来に不安を感じています」Aは言いました。「マイケル、会社を正せるのは社長のあなただけです。あなただけなんです。それができるのは。やらなければ、会社の病巣はずっと残ったままなんです。


 Aの言葉は私の背中を押しました。彼だけではありません。出張のさなか、多くの同僚や友人が個人的な会合の席で私にこうアドバイスしました。君が正しいと思う道をゆくんだ、と。しかし、簡単に決心できる問題ではありません。それにどうやって不正の存在を突き止め、対処すべきかも分かりませんでした。(77ページ)

 不正を追及し、それを正そうとした男のノンフィクションである。テーマは11/8にレビュウした「男たちの旅路/影の領域」と重なる。本書では、人と人とのつながりの大切さをオイラはつくづく実感した。不正は正されるべきだと考えている人々は意外にたくさんいて、志ある者が正しいことをするために助けてくれたり、背中を押してくれる。自分ひとりでは問題の解決が難しいことも、誰かの協力によってなしとげられる。マイケル・ウッドフォードの場合も、献辞にあげられている、氏の「最良の友人である」宮田耕二とミラー和空など、彼を支えた人々の支えを強く感じた。


 オリンパス事件とは


 オリンパス事件とは、バブル崩壊時に出した多額の損失の穴埋めのために、10年以上の長期にわたり、菊川剛オリンパス会長が中心となり1000億以上の飛ばしと粉飾決算を行っていた事件である。11/2のレビュウでも触れたように、2011年、フリージャーナリストの山口義正が月刊誌「FACTA」に掲載した記事がきっかけで明るみに出た。


 著者のマイケル・ウッドフォード氏は事件発覚当時、オリンパス社の社長。事件を知った氏は、事件の解決をはかるため、菊川剛会長および森久志副社長の辞任を求めた。一時は彼の主張が受け入れられ、彼はCEOに就任し、社の全権を掌握するが、二週間後の取締役会議で逆に電撃解任されてしまう。事実は小説より奇なり。なんとドラマティックな展開。


 興味深いのは、日本のメディアは当初、その後の菊川会長の記者会見を受けて、マイケル・ウッドフォードの解任を「文化の違い」という物語で解釈してとらえてみせたことである。彼を無慈悲なコストカットやリストラを要求する経営者と同列にみなしたのだ。月刊誌FACTAの企業買収に関する記事はすでに発表されていたにもかかわらず、それと関連づけた報道は皆無。「「日本型経営になじまなかった」という菊川の説明は耳に心地よかったのでしょう(130ページ)」という彼の分析通りである。最初に騒ぎ始めたのは、彼が資料を提供した海外メディア。そして、委任状闘争のときに活用したのがニコニコ動画などのインターネットメディアだった。情報感度の鈍さと、オリンパス事件を伝えきれなかったことを、日本のマスメディアは反省せねばなるまい。


 本書を読むにあたっては、事件の渦中にいた著者の主観的な視点から構成されているいう点を考慮すべきであるように思う。客観性を確保するという点では、先にレビュウした山口義正の「サムライと愚か者」と併読することをお勧めする。ノンフィクションとして文学的評価を下すなら「サムライと愚か者」の方が上。


 また、早川書房の上質な装丁はとても魅力的なのだが、本書は翻訳者の名前が記されていない。翻訳者の名前を明記するか、語り起こしなら語り起こしと書く方がいいのではないか。


サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件

サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件


関連エントリー
 ■山口義正「サムライと愚か者 暗闘オリンパス事件」講談社
  http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121102/1351808982