演劇部に行く/上演4日前


 11月23日に予定されている、オイラの勤務校の演劇部の上演まで、あと5日。土日は終日、演劇部の稽古につきあう。いまだ「立ち」である。上演5日前にして「立ち」というのは、芝居の稽古としては遅れている。正直追い込まれたというのが実感だが、追い込まれることによって、力を出してもらおうというのも狙いだから、あえて段取りを決めずに、いままでの稽古では役者のありようを問う本質的な話ばかりしてきたのである。


 段取りをつけることが稽古ではない、そう思い始めたのは、今年になってからだった。今の部員の中に「できない」という口癖の者がいた。わからないと、彼女は稽古中にフリーズしてしまう。すぐに弱音を吐く姿を見て、これは無意識に答えを言ってもらうのを待っているのだなとオイラは思ったのだった。現に彼女は、段取りが決まると安心してそれなりに「こなす」。だが実感よりも段取りが先にあるから、無批判に段取りをなぞる芝居で終わってしまう。自ら考えない。だからあえて問うたのだ。「君は役者として、この芝居で何を表現しようとしているのか」と。


 役者は主体的であるべきだ。オイラは役者の内側からほとばしり出るような表現を見たい。理想的な稽古には、演出も役者自らも、思ってもみなかったような、理性のくびきを解き放たつ表現が噴出する瞬間がある。おそらくそれが人を感動させる。うまいヘタは二の次である。


 そもそも動き方や振る舞い方の多くは、役者が演出や台本の意図、その舞台での約束事を理解することで、演出が「こう動け」と指示しなくても、おのずと決まっていくものだと思う。演出が先回りして「こう喋れ」「こう動け」とやってしまうと、役者が主体的に考えて動くことを阻害してしまう。それは逆に効率的とは言えない。だから段取りは最後でもいい。


 「オイラが指摘するのは、君たちが無自覚な部分。無自覚だから指摘する意味がある。君たちが自覚して主体的に表現したものについては、君たちの意図を尊重したい」これがオイラの演劇部コーチとしてのスタンスである。



11月23日(金・祝) 於徳島県郷土文化会館あわぎんホール
 14:00〜14:50 城 北  またあしたっ
     タカギカツヤ 作(生徒旧作・既成扱い)

  http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121107/1352236767