演劇部に行く「これがラスト」


 オイラの勤務校の演劇部、「またあしたっ」県大会の上演までカウントダウン。結局、通しを見たのは2回。21日22日は、私的な事情で稽古を見に行くことができない。最後は大幅に役者に任せることとなった。本当は最後まで面倒を見たいのだが、それができないのがもどかしい。


 1回目の通しは、余裕がないところに懸命にテンションをあげようとして、いたるところに悪い力みが出て、セリフはガチガチだわ途切れるわ動きは硬いわ相手役のセリフは聞いてないわ、悪い芝居のお手本のような仕上がりにクラクラする。今まで稽古で目指してきたのとは正反対の芝居だ。2回目はだいぶよくなった。だが、通しをおこなうことで見えてきた問題点もあり、最後はメールで駄目出しをおこなった(!)。こんな感じ。


 時間切れで指摘できなかったことを指摘しておきます。


 中心の落ちこぼれ3人組がふざけている理由がはっきりしません。単に「ふざけろ」と言われて無理やりふざけているように見えます。ふざけている理由がわからないと、ふざけるのを見せられることで不快に思う観客もいます。


 3人はなぜふざけあっているのでしょう。ふざけあうことが、友達の絆を深めるからだとオイラは思います。学校の中では浮いている3人組。疎外され差別されている(本人たちの責任もあるのですが)。だから互いを必要としている。切実な事情があるのです。そのあたりがかなり「薄い」。それをふざけあいの中に組み込まないと観客は感情移入ができません。


 とくにスミとダッチ。つっこんでくれる人がいるからボケるのだし、ボケてくれる人がいるからツッコむ。ボケとツッコミは、お互いを意識して、信頼関係のうえに成り立っているのですね。ツッコミ、ボケともに、中途半端です。ツッコミはレシーバー、ボケはアタッカー。両方がいてチームとして機能する。昨年の上演では、ダッチはツッコミに徹していたから、スミはボケ倒すことができた。役割分担をきちんと意識した方が、互いを必要としているという切実な感じが強く出せます。なお、トモは少し離れた独自のポジションにいるため、今のままでも違和感がありません。


 今日、3人で一緒にいるときに、次のことをやってください。


 ■1 ダッチとスミは、台本の中の、ダッチのスミに対するツッコミのセリフに、マーカーで線を入れる。
 ■2 ダッチのツッコミのセリフが機能しているか、ひとつひとつチェックしながら稽古する。ダッチの「あきれ、いらだち、困惑」が面白さにつながるように。
 ■3 ダッチの変化を受けて、スミは、さらにボケを強化する。ただし二人のセリフや受けが硬直化しないように。


□今のダッチ
 困惑だけが強く感じられ、平静な感じがする。スミの勉強できないことがひとごとのように感じられる。

□ダッチにあればいいもの
 苛立ち・焦り・必死感・母性本能(包容力・叱るときの強さ)・勉強できないことをわがごとと思う気持ち・細かい反応・身体の反応・柔軟さ・リラックス・軽み・スミを好きだという気持ち。(後略)