岡田尊司「愛着障害−子ども時代をひきずる人々」光文社新書


愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)

愛着障害 子ども時代を引きずる人々 (光文社新書)


 愛着障害について調べておこうと思ったのは、昨年12月、安倍内閣文部科学大臣として下村博文氏が就任したからだった。下村氏は超党派の親学推進議員連盟の事務局長で「発達障害は予防できる」という「親学推進協会」と関係が親密である人物。ちなみに親学推進議員連盟の会長は安倍普三氏である。


 親学は、日本では親に向けた、伝統的教育を勧める運動といった趣が強い。そのなかで「発達障害が伝統教育で予防できる」ということに関しては、科学的根拠はなく、むしろその主張は、発達障害に対する誤解を振りまいていると批判されている。とくに「愛着障害発達障害の混同」が指摘されていて、この機会にオイラもきちんとした定義を学んでおきたいと思い本書を手に取った。


 さて発達障害愛着障害の違いである。発達障害は生物学的要因に基づく先天的なもの。愛着障害は、不適切な環境に育った子どもが、保護者との愛着が絶たれたために生じた後天的なもの。愛着の問題は一部の人の特別な問題ではなく、多くの人に広くあてはまる問題であり、その人の心理と行動を支配する。


 「なぜ、人に気ばかりつかってしまうのか。なぜ自分をさらけ出すことに臆病になってしまうのか。なぜ、人と交わることを心から楽しめないのか。なぜ、本心を押さえてでも相手に合わせてしまうのか。なぜ、いつも醒めていて何事にも本気になれないのか。なぜ、拒否されたり傷つくことに敏感になってしまうのか。なぜ、損だと分かっていて意地を張ってしまうのか(5ページ)。


 これらの特性はオイラ自身にも当てはまり、実はオイラも愛着障害ではないかと疑いながら本書を読んだのだった。だが本書の巻末についている愛着スタイル診断テストをやってみたが「もっとも安定的なタイプ」に該当して、ちょっとキツネにつままれた気分になった。


 本文中の愛着障害の特徴の記述には、思い当たるフシはあった。もっとも思ったのは、オイラが教師をやっているのも、うまく親に育ててもらえなかった自分が、子供時代をひきずってきた表れかもしれない、ということだ。親代わりなって若い人を育てていくことが、愛着障害を克服するプロセスになってきたのだと、今になって思う。教師を30年近くやることで、オイラの愛着障害は、ある意味克服されてきたのかも知れない。


 偉人たちの愛着障害


 本書では、いろいろな有名人の愛着の問題が語られていて、具体的でわかりやすい。優等生で良い子を演じきったバラク・オバマ、母親には柔順だが、それ以外の女性に対しては支配的だったビル・クリントン。2歳半までに両親を失ったことが遠因で、幼少期にいたずら癖、成人してからはマゾヒズムと露出狂の気があったルソー。生後数週間で生みの親から離されたスティーブ・ジョブズは、多動や衝動性があり、殺虫剤の味見をしたり、コンセントにヘアピンを差し込んで病院へかつぎ込まれたという。またジャン・ジュネは、母親に遺棄されたことが遠因で、13回の窃盗の有罪判決を受けた。喜劇王チャールズ・チャップリンは、多忙で精神に異常をきたした母親が入院を繰り返すといった幼い日々の不安によって、ロリータ趣味という執着が生まれた。


 まだある。歓迎されざる子どもだった夏目漱石は、生まれて間もなく里子に出された。シニカルで偽善をことさら暴く漱石の性向は、親に対する失望に由来すると言われている。太宰治が薬物依存や心中未遂を繰り返していた根底には、生まれてすぐに乳母に預けられ、その乳母と突然の別れを経験したという愛着の喪失の影響があると言う。愛着不安の強い不安型の母親の元で育てられたミヒャエル・エンデは、学校嫌い、勉強嫌いで反抗的かつ顔色を伺う子どもに育った。生涯母親に反発したヘミングウェイは、危険に対する鈍感さや闘牛や猛獣狩りに対する強い関心があり、うつやアルコール依存症に悩まされ、最後は自殺する。


 こうしてみると、本書は特に文学者に対する記述が多い。前述の他、川端康成中原中也谷崎潤一郎などにもページが割かれている。まるで日本の近代文学の底流には、愛着障害という原動力があるかのようだ。著者の岡田尊司氏は、小説家としても活動している方なのだそうだが、本書は、愛着障害から見た文学論としても立派に読める。


 そういえばオイラも、中学から大学にかけては憑かれたように小説を書いていたのだった。