「世界はギフトを待っている」


 全文掲載はコチラ
  http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20130314


 今春発行される「四国高演協だより2012」に、「世界はギフトを待っている」という拙文を投稿しました。内容は、このブログでも触れた四国大会の感想に手を加えたものです。もともとは、高校演劇における大会講評についての論考を、厳密に書こうと思って肩肘張って書き始めました。しかし、書きすすめながら、いろいろな方の演劇観についての話を聞くにつれ、考え方が変わっていき「演劇の見方はいろいろある」という、ある意味当たり前の結論にたどり着きました。本稿は、オイラの試行錯誤の跡の見られる原稿です。
 結局「持論をどうつきつめるか」より、むしろ「持論を他の人にどう贈るか」を考えた方が、より生産的でしっくりくる、ということですな。あ、本誌に掲載されるかどうかは、編集長である西村和洋先生の判断によります。
 以下、そのエッセンスです。


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 大昔の話で恐縮だが、1990年、丸亀、顧問としてはじめて出場した四国大会のことを思い出す。審査員は篠崎光正氏。篠崎氏は審査にあたり「『演劇的』であるかどうかという基準で評価する」と述べ、僕の書いた作品は「作られ方が文学的である。演劇的でない」と評された。入賞はしなかった。


 ・・・・(中略)・・・・20数年前のあの講評があったから、僕の演劇指導がある。僕の演劇観は、僕が考えたとも言えるし、同時に「審査員シノザキミツマサ」からのギフト(贈物)だったと考えることもできる。僕は、審査員からのギフトに、自分なりの実践と経験から学んだ余禄をつけた。そして次に渡していく。もしそれを受け取る人がいれば、そして解釈してまた次に・・・・。そうした贈与のサイクルがうまく機能することで、高校演劇全体が豊かになっていく(注)。


 考えてみれば、この冊子そのものが、ギフト(贈物)である。皆、一文の得にもならない文章を、延々と書き連ね、今年度は、百数十ページを超えるボリュームの大冊ができあがった。審査員の講評文だけでなく、顧問や高校生の意見や感想、批評など、さまざまな角度からのコトバが寄せられている。行政主導で作る冊子だと、こうはいかない。この冊子を読んで、四国の高校演劇をめぐる人間関係の中に退蔵されている演劇的資源は、思っていたよりも豊かにある、ということを、僕は改めて実感した。


 これらのテキストが、誰かを触発し、次の実践につながり、ますます豊かな表現が生む起爆剤になるかも知れない。単に高校演劇を「勝ち負け」のみの対象と見なし、単に優劣を競う「競技」として扱うより、それぞれがコトバをギフトとして、演劇的知見をこめて贈りあう方が、はるかに豊かな営みになるのだと僕は思う。


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 ※(注)「「贈与」と「返礼」のサイクル」については、内田樹先生の考え方に大いに触発されました。詳しくは「評価と贈与の経済学」「呪いの時代」を参考にしてください。


評価と贈与の経済学 (徳間ポケット)

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