第27回高知県高等学校演劇祭 その9


上演10 岡豊高 西内ひかり原案・篠智美作「リンク・リンク・リング」


 演劇部の部室で芝居の稽古をしている人たち。演劇部員たちの日常と芝居つくりによって生じる葛藤と対立を、現実と劇中劇を交えながら描いた作品。


 未整理なままの部分がいくつかあり、少し分かりにくい。劇中劇は演劇部員の日常生活と「リンク」しているわけだから、劇中劇と現実は、デティールだけでなく、テーマや物語もまた、類似していたり、相反したりといったように、何らかの対応関係にあるのが一般的だと思う。だがこの作品の場合、劇中劇がどんな劇なのか、その輪郭がよく分からないので、劇中劇が演劇部員の日常とどう関連しているのかがはっきりしない。


 しかも劇中劇は、呪文を唱えたりする高校生が登場するとは言え、現実と類似した学園ドラマである。照明などの変化もそれほどないし、劇中劇と現実の境界も分かりにくい。加えて劇中劇のアクティングエリアがつかみづらく、この人たちが、どの方向の、どんな距離に観客がいることを想定して稽古をしているのかが曖昧に思えた。


 また、ここの演劇部の皆さんは、ひとりで演技をしてしまう傾向がある。「いま=ここ」で起こっている出来事に影響されてリアクションが連続するのではなく、もてあました時間を埋めるために、劇の流れとは無関係に、たとえば「頭に本を乗せておどけてみせる」。演劇は「関係」の変化を立ち上げる表現であるから「他者との対話」の連続の過程を維持することが必要である。その流れをわざわざ分断するような演技を入れるのは、わざわざ芝居を説明的にして、演劇へ向かうベクトルから遠ざかっているように思える。


 演技は少々おおげさで作り物めいた感じがする。おそらく「舞台の上で何かをしなければならない」という思いが強いのだろう。そんな演技のせいで日常の描写が芝居がかって見え、現実と劇中劇の境界が、さらにあいまいに見える。基本は、ただぼーっとして無心でリアクションするだけでいいのだ。舞台では常に非日常的なことが起こっている。観客も、何か特別なことが起こるだろうと思いながら舞台を見ているから、むしろ「何もしない」ことの方が印象に残る。「何もしない」ことの方が、舞台では特別なことであり、非日常的なことなのである。