2つの実話


 あっという間に4月。学校は年度がわり。時間のたつのは早い。


 昨年度のオイラの総括。一言で言えば、気分的に仕事に追われた一年だった。「朝の硬筆書写」や世界史Aの授業のマクラの四方山話など、仕事のネタ探しの「ためにする読書」が多かった。反面、普段ならオイラが目を通さないような本をたくさん読めたのは収穫だったと思う。そんななかから、とくに印象深かったものを2冊紹介する。


 上中別府チエ「83歳の女子高生球児」(主婦の友社は、神奈川県の定時制高校に通う「83歳の女子高生」が自ら綴った直球の実話である。彼女は、76歳のとき夜間中学に入学し、79歳のとき高校へ入学、高校ではなんと野球部(軟式)に入部し、なんとなんと公式戦にまで出場(!)する。チームは県大会の決勝まで進むが、最後の試合で強豪校に敗れてしまう。その後の描写が劇的で泣かせる。

 グラウンドで人目もはばからずに涙を流しているピッチャーの小鹿くんとキャッチャーの蓮くん。頭を抱えたまま、動けなくなってしまった優貴くん、泣き崩れて涙と泥まみれになってしまった上田くん。誰もが茫然自失のまま、涙にくれています。


 この瞬間、私に新たな役割が生まれました。
 泣き崩れている選手たちにどんな言葉をかければいいのか、私にはわかりません。それでも、たとえ何も話しかけられなくても、そっと近くに寄り添い、ただそばにいてあげるだけならばこの私にもできるはず。それが私に求められていることなのだと気付きました。
 ベンチを出て、泣き崩れている彼らの下へ、私は近づいていきました……。


 年齢の如何にかかわらず、今やろうとしていることに没頭し、完全燃焼しようとすることを「青春」というのだなあと、強く実感した一冊だった。


83歳の女子高生球児 (ゆうゆうBOOKS)

83歳の女子高生球児 (ゆうゆうBOOKS)


 坪田信貴「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」(KADOKAWA他)もまた実話である。内容はタイトル通り。聖徳太子を「せいとくたこ」と読む金髪ヘソ出しギャルの「さやかちゃん」(当時高二)が、信頼できる塾講師のサポートを得て、慶應大学に現役合格するまでを描く。チャラい表紙とナメたタイトルから、キワモノっぽい内容を連想するかもしれないが、その中身はいたって良心的で、教育に取り組む作者の方のまっとうな姿勢に共感を覚えた。


 授業で本書を紹介したとき、ある高校生が言った。「この子はもともと力のあった子で特別。だから慶應大学に現役合格したのだ」と。そうかも知れない。だが本書から学ぶことを見つけられなければ、その目は節穴である。受験テクニックはもちろん、とくに教師を信頼することの大切さ、言われたことを何でもやってみる素直さこそ、教訓としてもっとも見習うべき点だろう。そして教師や保護者もまた、教師として何が大切かを考えさせられる一冊である。たとえば、

 ●「やる気なしお」くんの話
 「やればできる」という言葉を多用すると、相手の「やる気がなくなる」のです。
 なぜなら、本人の中に本当に「やればできる」という確証のない状態でものごとをやってみて、もしもできなかったら、それは「自分の能力がないことを証明することになる」からです。
 真剣にやらずにいれば、いつまでも「やればできる」と言ってもらえます。
 ですから、やる気のない「やる気なしお」くんに、「君は、やればできるんだから!」と声をかけると、ますますやらなくなるのです(312ページ)。

 

 こうした「役に立つ」エピソードが満載で、筆者が出し惜しみをせず渾身の力をこめて書いているのがよく分かる一冊。教育学部などを第一志望にしている高校生には、この本を強く勧めている。



 最後にオイラの話。昨年度は学年主任という立場もあって、単に学習面のみで高校生に接するより、全人格的な成長を視野にいれて、あらゆるレベルの話をするように努めた。そんなオイラが発したメッセージは「この世界はなんと複雑で多面的であることか」である。物事を単純化して、受験競争に追いこんでいくよりも、世界の複雑さを実感してもらって、立ち止まって深く考えてもらいたい、それがオイラの願いだった。関わった高校生に、そうした姿勢が少しでも根付いたとしたら、オイラの一年間には意味があったということだと思う。


 そして今年度、なんと再び人権教育の責任者となった。考えてみればオイラは教師になってから二十八年間、ずっと人権教育の係をしてきたのだった。今年度は人権教育の視点からも、このブログに雑文を書きつけていこうと思っている。