吉田道雄「「優しい演劇」の快挙」


 徳島県高校演劇協議会の事務局長である城ノ内高の吉田道雄先生の昨年度の県大会評。オイラの名前も出していただいたこともあって、吉田先生の許可を得て、こちらに紹介させていただきます。相変わらずの精緻で大胆な分析。ムラハシ先生の学生時代の作品まで、よく覚えておいでだなあと、オイラは驚嘆。


「優しい演劇」の快挙


      徳島県高等学校演劇協議会事務局長 城ノ内高等学校教諭 吉田 道雄


 富岡東・羽ノ浦校「夜帰(やき)」が昨年度の「避難」に続き県大会最優秀を受賞し連覇を果たした。群雄割拠の徳島県ではこの十年間(2004〜2013年)で「連覇」は初の事態であり快挙と言えよう。「避難」「夜帰」の2作品が「静かな演劇」の流れを汲むものであることは衆目一致しよう。顧問の村端賢志(むらはしさとし)は高校演劇出身であり、学生時代に富岡西高校「白の揺れる場所」で全国大会に出場している。当時の富岡西高校の顧問は古田彰信(ふるたあきのぶ 現・城北高校顧問)であり、「白の揺れる場所」は当時演劇界の潮流になりつつあった「静かな演劇」を高校演劇にいち早く取り入れた革新的な作品であった。村端は師の作品を確実に継承し、今日その洗練は極みに達したように思える。私はそれを「静かな演劇」というよりもむしろ「優しい演劇」と呼びたい。今大会審査員長の土田英生氏は「夜帰」の中の「根拠のない自信は優しいよ」という科白を高く評価された。「根拠のない自信」は競争等で他人を傷つけることが無いので「優しい」という訳である。加えて2作品とも傷を抱えた2人の人物が傷を共有することで癒し合う「優しい」関係を描くという特徴をもつ。これは民話・昔話の基本構造である「行きて帰りし物語」を、2人の人物がお互いの「ライナスの毛布」になり合うことで成し遂げるという点で吉本ばなな「キッチン」と同様の完璧な物語構造を有している。そのような点が「洗練の極み」であり「優しい演劇」と呼ぶ所以である。これは同じように「静かな演劇」を出発点としながら、師の古田のその後の道程と対照的な行き方である。そもそも「白の揺れる場所」は、静謐さのなかで不気味に揺れ動く人間関係の不協和音こそを描いており、末尾にはそのような閉域をも脅かす荒々しいものとして台風の到来が予告される。古田はその予言を守るかのように、その後「やかましい『静かな演劇』」という二律背反を志向し、「静かな演劇」という基盤を破壊せんばかりに「荒々しいもの」を舞台に希求しはじめた。対して、村端は部員にも観客にも審査員にも「優しい」。そしてこの「優しさ」 は羽ノ浦の舞台に絹のような洗練と優雅さを与える一方、繭のような癒しの閉域を形作ることも否めない。癒しのためには傷つける他者を排除する閉域が不可欠だからだ(そのような傾向は「四国高演協だより2012」誌上で、村端氏が批判や議論を極度に嫌悪する姿勢としても現れている)。連覇を遂げた以上もはや「根拠のない自信」も口にできない。蛹が繭を破って蝶となり、更なる飛翔を遂げるのか。「優しい演劇」の今後に注視したい。


 優秀賞(2位)の鳴門高校顧問・斎藤綾子(さいとうあやこ)はコラージュの達人である。かつて県南の生徒の自然発生的なコントや彼らを取り囲む現実を巧みにコラージュしてみせた斎藤は今作「その街の高校生」では「破稿 銀河鉄道」をはじめとする過去の高校演劇の名作をコラージュすることで高校演劇として完成度の高い作品を作り上げた。 


 優秀賞(3位)の阿波高校「サバ人の踊り方」は、骨組に新聞紙を貼り付けて赤いスプレーを吹き付けただけのロケットでも人は火星に行けるのだという「高校演劇の奇跡」を見せてくれた。プロがどんな精巧なセットと卓越した演技で再構成しても、これは再演できない。破綻や粗さを魅力に変えるだけの実力と情熱と蓄積が阿波高にはあったのだ。


 城ノ内と徳島市立は、劇内容ではなくその崩れ方において、どんどん悪くなる時代状況を如実に映し出し、その不調の切迫感が生々しかった。城南は自らのスタイルを貫く完成度の高さを示した。その他、個人的に海部と城東の舞台に好感を覚えた。


 関連エントリ

 *[演劇]第65回徳島県高等学校演劇研究大会
 http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20131018
*[演劇][教育]第65回徳島県高等学校演劇研究大会「そばや」総括
 http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20131124