吉田道雄「歴史の息吹」(徳島県高等学校文化連盟誌「高文連」より)


 徳島県高等学校文化連盟演劇専門部の事務局長である吉田道雄先生が、「歴史の息吹」と題する2014年度の総括を「高文連」誌に書かれていた。オイラの勤務校である城北高の昨年度の作品「そこは、めっきり嘘めいて」についても触れていただいた。そのなかで、ことに作劇の姿勢について「今日の演劇部における創作活動の見事な手本」と評され、過分な言葉に、オイラはいささか恐縮している。今回は、許可をいただいたうえで、吉田先生の文章を本ブログに転載する。


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歴史の息吹


演劇専門部長 吉田道雄


 2014年11月末の県大会は歴史に残るものだ。後世の人はぜひ年表と突き合わせてほしい。それは歴史の奔流に対して徳島県高校演劇界が目を反らさず対峙したことの証左である。特筆すべきは阿波の最優秀賞・浅香寿穂(創作脚本)賞・舞台美術賞の3冠である。現顧問・吉田晃弘指導の阿波は衆目一致の実力校でありながら無冠の苦渋を嘗め続けてきた。喉から手が出るほど待ち望んだだろう四国大会でも阿波は出色の出来映えで優秀賞(2位)・創作脚本賞を受賞し春の全国大会への出場を勝ち取った。県大会審査員長の藤崎周平氏はこの劇を「記憶の劇」と評した。記憶とはスープを温め直すように現在の必要から温め直された過去のことだ。「ハムレット・コミューン」とは作者が大学生活を送った土地に実在する学生アパート名で,作者は登場人物の「私」の視点から自らの大学生活を温め直し,生きた過去を取り返すことで,冷え固まった現在の状況を照らし出す。それはただの思い出ではない。劇中の大学生の群像から,学生の自主的な活動とその頓挫,消費社会のおける変質と喧噪,資本主義徹底下の就職難等,大学から見た戦後日本社会の歩みが如実に浮かび上がって来るのだ。その温め直された歴史の象徴である「ハムレット・コミューン」とはその名の通り「ハムレットのように悩む若者達が多事争論の只中で何かを共に創造していく場所」のことであり,現在の社会がそのような場を喪失する危険を劇は静かに指し示す。だからこそ「私」は過去と万感の思いを込めて決別し現在へと旅立つ。その表情は思いつめて暗い。だが後ろ向きなのではない。映画の結末,幕の奥に向かって毎度とぼとぼ歩き出すチャップリンの背中が再出発への固い決意であるように。


 思えば演劇とはハムレット・コミューンだ。若者が集まり,悩み,舞台を創り上げるのだから。だが高校演劇の現場でもその不調は著しい。部員がいない,部室が無い,台本が書けない等。それを劇の題材に直接取り上げる学校まで幾つかあった。その中で城北は今日の演劇部における創作活動の見事な手本を示した。顧問・古田彰信の過去の作品を知る者は今回の一見生徒創作と見紛う作風の変貌に驚きを禁じ得ない。だが,それは目の前の部員の現実を何とかして表現しようとする格闘の跡であり,それこそが「生徒の身体を信じる」という信念を貫き通す唯一の道だったのだ。いかに外形が変わろうと,そこには昔と変わらない「創作」の本質が見事に息づいている。大海に浮かぶ孤島のような部室で一人,部員が劇作の筆を進める結末には熱い思いが込み上げてきた。それは全ての演劇部や演劇に関わる人へのエールに他ならなかったから。


 不調と言いながら全ての学校で質の向上や工夫の跡がみられ優れた作品が多くあった。難解なことを饒舌に語る女子高生像の異化効果で現代日本の知的劣化を如実に映した徳島市立,悪夢の感触で社会の不条理を描いた羽ノ浦の問題意識は高く,また賞には恵まれなかったが鳴門の総合力の高さや羽ノ浦の抜群の演技力等は審査員次第では上位入賞が入れ替わることを容易に想像させた。参加校も前年度の13校から15校まで戻った。復活した脇町・富岡西・富岡東も充実した舞台を見せてくれた。苦しい時代の只中でも若者はやはり悩み,集い,何かを創る。それは歴史の生まれる息吹そのものであり,寒風の中で芽吹きを待つ若草だ。土を入れ替え,塗り固めるのは止めよう。我々は若草を草原へ,森へと高めなければならない。