2016年度 高校演劇この一年 アンテリジャンス


 徳島県の高校文化部活動を総括する「高文連」誌、2016年度版の演劇部門のページの巻頭言として、今年も事務局長の吉田道雄先生が渾身の文章を書かれています。吉田先生の許諾を得て今年度もここに転載します。


 すぐに消費されていく数多の表現とは、次元の違う言葉。我々の活動に、精緻で魂の入った言葉を投げかけてくれる人のいる幸せを感じます。


 高校生の皆さんにこそ、こういう文章を、噛みしめるように読んでほしいですね。


 あ、城東高の上演作品「暗渠」についての言及もあります。ありがとうございました。


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アンテリジャンス


吉田 道雄


 詩人・劇作家木下杢太郎は、また医学博士太田正雄としてハンセン病克服のために精励した。彼の臨終の「シンセリティも必要だが、それはどんな野蛮な人間でも持てる。要はアンテリジャンスだ。それがないのだ。」という言葉には、千鈞(せんきん)の重みがある。(大西巨人『春秋の花』より)


 68回目となった今年の県大会は、四国大会が地元開催で例年よりも出場枠が1校増える関係からか、昨年以上に各校が鎬を削る「コンクール」の名にふさわしい大会となった。激戦を最優秀で勝ち上がった徳島市立は四国大会でも最優秀に輝き、来夏の全国大会(宮城大会)への出場を決めた。これで今夏全国大会(広島大会)に出場した阿波に続き、四国でただ1校の「四国代表」の座に2年連続で徳島の学校が就くことになった。これは97年富西「白の揺れる場所」98年阿波「甘い誘惑」以来、実に18年振りの快挙である。昨年とは異なる学校が出場する点も徳島県高校演劇界の層の厚さと充実を示すものと言えよう。徳島市立の顧問・村端賢志の「構成力」、つまり作品の諸要素をきれいにまとめ上げるセンスと力量は全国レベルでも傑出している。だが、それだけでは足りないものがある。高校演劇である以上、それは部員の情熱と努力に他ならない。特に四国大会ではアンサンブルの驚異的な深化が見られた。私が観て来た中でも指折りの高校演劇体験と言っていい。勿論それは市高演劇部全員の努力の結晶なのだが、アンサンブルを舞台の上に限らず上演に関わる全ての物事の調和と捉えると、それは作り手の努力だけではどうにもならない要素を含む。上演順、会場との相性、観客の入り、役者の当日の体調等、どれか一つでも歯車が狂えばそれは実現しないのだ。スロットマシンで「777」を出すのに等しいとも言える。こんな低確率のものに一体どれだけの代償を支払う気か。演劇人の誰もが一度は感じるこの疑問。実際、ほとんどの者が報われずに終わるのだ。それでも渾身の力で賭け続けなければ、それは訪れない。市高はあらゆる不安と困難を乗り越え、賭けに勝った。最も美しい時に終えることのできない人生の、その「後」こそを描くべきだと考える私にとっても、率直に羨望の念を抱かせるアンサンブル、その恩寵のような時間が、クリスマスの市高の舞台には静かに流れていた。


 優秀賞(2位)の海部は、県南の高校生の生地を活かした演技・演出が、テンポやリズムの良さを自明視しがちな現在の高校演劇への期せざる異化効果を持ち、「地方消滅」といった一般論に流れないリアリティを保証していた。ここでも顧問と部員との幸福な出会いを感じた。そして、四国大会出場の顧問劇作家が徳島にまた一人増えたことを歓迎したい。


 優秀賞(3位)の富岡東は、諸芸術の中で唯一、公共的対話という「活動(アクト)」を「演技(アクト)」として直接観客に提示しうるという演劇の特質を、討論劇の形式で遺憾なく発揮した舞台だった。昭和8年の国際情勢を含む難解な台詞を血肉化し得たという点で坂本劇の現時点での最高達成といえる。部員の皆さんに惜しみない賞賛を贈りたい。


 冒頭の言葉。「シンセリティ(真心)」だけではダメだ、「アンテリジャンス(知性)」を。誤解されやすい言葉だ。知性とは知識・学歴比べのことでは無い。まして「上から目線」で「野蛮な人間」の無知を蔑む言葉であるはずがない。逆だ。知性とは端的に「無知の知」のことであり、自らの無知がいかに悲惨な現実を招いてしまったかという痛恨の感覚、次こそは知力を振り絞って何とか悲惨を阻止しなければという切実さに他ならない。この「アンテリジャンス」の観点からは誰が何と言おうと今大会の白眉は城東「暗渠」だ。ここには貧困問題をいち早く取り上げた「範子の勉強」等の田上二郎作品に共通する「早すぎた作品」の悲劇がある(同様に「待っている人々」も我々には早すぎた)。何しろ、最低賃金を巡る議論は社会的にもまだ始まったばかりなのだから。だが、それは作品の一級の「アンテリジャンス」の証左であり、コンクールの勝敗では語れない作品の歴史がそこにはある。さあ、立ち上がろう。我々はまた懲りずに嬉々としてスロットマシンのバーを振り下ろすのだ。汗水流して目一杯、力と祈りを込めて。