もりまさえ一人芝居vol.4「二十四の瞳」口上


 8月27日「もりまさえ一人芝居」(於ヨンデンホール)でのプログラムに書いた原稿。書きながら、半世紀以上生きてしまったんだなあとしみじみ実感。


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 「今」と「昔」をつなぐ「二十四の瞳


                    古田 彰信


 20年ほど前、阿南でひとりで住んでいた頃のこと、夜遅くまで仕事した帰り、閉店間際のスーパー、マルナカに、半額の弁当やら総菜やらを目当てに立ち寄ると、決まって閉店を知らせる印象的な音楽が流れていて、耳に残った。その曲が何という曲なのか、当時は気にもしていなかった。


 10年ほど前、ちょうど高松のホールソレイユという映画館で「二十四の瞳」の予告編をやっていて、ああ香川だからなと思いながらぼんやり観ていると、スクリーンから、ふいに聞き覚えのある音楽が流れてきた。ああこれは、マルナカの閉店のときの音楽だ!


 その曲が「アニー・ローリー」というスコットランド民謡だと知ったのは、さらに後のこと。かつて自分が毎日聞いていた「マルナカ閉店ソング」が、じつは映画「二十四の瞳」で使用されていた音楽で、ああそうかマルナカは香川資本のスーパーのチェーンだから「二十四の瞳」なのかという「発見」に、ちょっと興奮してしまったのだった。


 ちなみに、自分が壺井栄の小説を読んだのは、約40年ほど前。自分の中では「過去」の作品であり、マルナカでの音楽との出会いがなければ、前景化されることはなかっただろう。忘れ去る者がいても、語り継ぐ人がいれば、その物語は延々と続いていく。「二十四の瞳」は、香川県では有名だ。小豆島には映画村があるし、映画村では、映画は何と毎日上映されているのだから。オイラは、香川県の「布教」にまんまと乗せられた一人かも知れない。


 「二十四の瞳」の魅力はなんだろうか。何と言っても、日本の原風景がそこにあることではないかと思う。おだやかな瀬戸内海、美しい島の季節折々の風景、自然、人びとの人情……。私たちがいつまでもそこにあって欲しい、変わってほしくないと思っているもの。小豆島には、それらの風景が、過去からずっとそこにあり、そして今もそこにある。一度足を運べば分かる。昭和30年代には小豆島は魅力的な旅行先として大ブームになった。そして今。映画や小説は地続きであることを実感することができる。


 故郷は遠く離れて思うもの、風景は忘れ去られていくからこそ美しい。「二十四の瞳」はメロドラマだ。情緒を揺さぶる場面がてんこもりで、わかりやすい。誰もが作品世界に入ることができる。その通俗性にもかかわらず、凜とした格調の高さが感じられるのは、作品を貫く作り手の「反戦」へとむかう志と、大東亜戦争前後の庶民のリアルな生活実感に基づくリアリティに支えられているからではないか。


 戦争が終わって72年、若い人たちにとっては「はるか昔」、徐々に遠い過去になっていく。「あの時代」を生きた人たちが感じたことを、共有することが徐々に難しくなりつつある。だからこそ、あの時代の空気を伝えてくれる作品が必要なのだと思う。


 「二十四の瞳」は、たくさんの人が死ぬ。登場人物は、ねたみやひがみを口にする。差別語もとびかう。今回の上演では、それらをあえて残している。現代人の身の丈に合わせて口当たりのいいドラマを差し出すだけではなく、あの時代ががんらい持っていた「リアル」を大切にしたいと思ったからだ。ウェルメイドなドラマとしての「二十四の瞳」だけではなく、荒々しい部分もまた表現したい、そういう意図がうまく表現に結実すればと思っている。


 考えてみれば、同時にご覧いただく「暗渠」(サワリの10分だけだが)、不器用だけど誠実に今を生きる若者が、社会の不条理さに直面し、葛藤の中から絞り出す言葉のリアリティを感じてほしいと思いながら作った。個人と社会の葛藤という点では、時代や形式は違えど「二十四の瞳」と「暗渠」には、どこかでつながっている。立場や考え方が違っていても、共感できたり実感できたりする。その仲介をするのが演劇なのではないか。そんなことを考えながら芝居作りに取り組んでいる昨今である。


 本日はご来場ありがとうございます。なにとぞよろしくお願いいたします。