松田正隆「蝶のやうな私の郷愁」を思いだした。



 松田正隆の戯曲に「蝶のやうな私の郷愁」という作品がある。こんな話だ。
 台風が近づいている。最初は夫婦の日常のちょっとした「ずれ」。亀裂は徐々に大きくなり、台風は近づき、雨もりははげしくなり、ついには「水」が日常に浸食してくる。ラストにはアパートの一室に「洪水」がやってきて、ふたりの日常を押し流していく…。



 オイラが関わっている演劇部で、昨年上演した作品。だから、東北地方太平洋沖地震の報道を見て、すぐにこの作品を連想した。劇作家の松田正隆が妄想した非日常が、今まさに現実のものとして現出している。優れた劇作家のイメージに、現実が追いつき、重なった瞬間が、今回の地震なのだと了解した。


 松田正隆の作品には、よく破壊的なイメージとしての「水」が描かれる。そのイメージの背景にあるのは、1982年の長崎大水害だ。長崎市内だけで299名の死者・行方不明者を出した。松田正隆は長崎出身である。第一回OMS戯曲賞を受賞した「坂の上の家」にも、長崎大水害で両親を失った兄弟が出てくる。
 「蝶のやうな私の郷愁」の洪水のイメージも、長崎大水害のイメージと重なる。ふだんは静かだが、猛々しくなると、一瞬で多くの人の命を奪う。まるで、長崎に落ちた原爆と同じように。


 考えてみると、日本では、地震や水害でなすすべもなくたくさんの人の命が失われた歴史がある。現代、ダムや防波堤などの防災施設ができると、洪水や津波に対する意識が薄れてきた。忘れかけたときに、自然が牙をむく。「水は恐ろしい」ということを、否応なく思い出さされる。「水」のイメージは、日本人が根源的に共通に持つ畏怖のイメージである。


 福島第一原子力発電所の事故のことが報道されている。事故は、否応なく原爆を想起させる。「水」といい「放射能」といい、我々の無意識をわしづかみにして暴力的にかき乱す。何と忌まわしい。
 我々は、そういう国に生きている。しかし、私たちは、そこから立ち直ってきた。何度も何度も。今回もきっと立ち直ることができる。そう信じている。

崖の上のポニョ [DVD]

崖の上のポニョ [DVD]


 「崖の上のポニョ」に出てくる「船で水没した町を行く」という奇怪なイメージは、上の報道写真や、「蝶のやうな私の郷愁」のイメージと共通するものがある。無意識がどこかでつながっている。