高木仁三郎「新装版 チェルノブイリ原発事故」


チェルノブイリ原発事故

チェルノブイリ原発事故


 6月、勤務先の高校で、全校生徒を前に、原発問題についての発表をすることになった。そのために、原発関連の本を何冊か買いこむ。
 不勉強なオイラは高木仁三郎という方をまったく知らなかったのだが、脱原発という分野では、とても有名らしい(2000年逝去)。また本書に書かれていることは、まったく古びてなくて、まるで福島第一原発事故が起こることを予見していたかのような内容である。逆に言えば、20年以上前に警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、それを無視してきたがゆえに、福島第一原発の事故は引き起こされたと言える。


原発は日本社会の矛盾の縮図


 こういう下りがあった。「・・それから、もうひとつ気になることは、事故があったから原発はいけないという発想である。日本で事故が起こるかどうか、起こったらどうなるという発想に動いてしまうというのは、私が考えていることとは少し違う。事故が起こるのは、ある意味では原子力技術の必然であるが、事故はなくても、原発というのはいろいろ歪んだ構造をもたらしていくわけで、廃棄物問題や核の軍事利用の問題はもちろん社会的な差別の問題や管理の問題、地域の自立の問題、人間の自由と尊厳の問題、自然と人間の関係の問題などがある。もちろん日本でももし事故が起きたときのことを考えるのは重要なことで、そのこと自体を否定しているのではないが(105ページ)」


 その点はまさにオイラが考えていたことと重なる。原発の問題は、今日本のあらゆる場面で見られる日本社会の矛盾の構造そのものである。田中角栄元首相は、1974年、「電源開発促進税法」「電源開発促進対策特別会計法」「発電用施設周辺地域整備法」、いわゆる「電源三法」を成立させ、自治体にカネをばらまく仕組みを構築した。国は原発を推進、予算を次々と増やし、天下り団体を増やした。研究者や学者に研究費を与え、国の意図を代弁する有識者を増やした。電力会社は広告出稿をコントロールすることで、批判的なマスメディアを封じた。


原発(カネ・利権)に群がる人脈


 週刊ダイヤモンド2011年5月21日号の特集は「原発 カネ・利権・人脈」と題し、2兆円産業である原発に群がるヒト・企業・カネの全貌をあぶり出している。たとえば33ページには、財界の主要役職に座り財界を支配する電力会社の重役、原発に関係する主な国会議員、経済産業省から電力会社似天下った官僚、原発推進の中心となった東京大学工学部原子力工学科の主な卒業生の名前がズラリ挙げられている。まさに「原発に群がる人脈」である。


 一基あたりの建設費が3000億とも5000億とも言われる。地方自治体には、最新鋭の原発を一基誘致すれば、電源三法に基づく交付金が、45年間にわたり総額2455億円も転がりこんでくる。地元対策を請け負う下請けのゼネコンは、夜な夜な地元の議員を豪勢に接待し、電力会社も選挙協力や議員の子供を就職採用するなどして側面支援をする。電力会社は商店街や町内会のイベントが催されればお茶をまとめて寄付するし、鉛筆一本から備品はすべて地元商店から購入する徹底ぶり(週刊ダイヤモンド2011年5月21日号)。


 高木は言う。「福島では、原子力発電所はめいっぱい建ってしまいました・・・・。これでもうすべて計画が終わります。そういう段階で、福島県が「原子力行政の現状」という報告を出しています。そこで何を言っているかというと、地域開発というメリットはなかったと言っています。原子力発電所が来ることでいろいろ交付金を受けたけれども、それは結局道路をつくる、公民館を建てる、学校をコンクリートにする、町の庁舎を建てるということに使われて、受け取る人は限られていたと。当初はいろいろ交付金が入ってきて町の財政規模はふくれたけど、今は交付金も終わるし、建設仕事もなくなるから、労働力の地域からの吸い上げもなくなった。しかも地域の財政規模がふくれ上がっている。それを維持するために新しい産業を呼ばなくてはならないけれども、他の産業は来たがらない。結局原発は地元の地道な産業の育成には何もできなかったと、県自身がそういう結論を出さざるを得なかった。そういうこともあわせて、このチェルノブイリの事故が起こった今の段階で、もう一回原子力の問題を根本から考え直す必要があるのではないか、そういう反省期に、いま日本総体が来ているのではないかと思います(47ページ)」


何も変わってこなかった原子力行政


 高木の問題提起は、今でも十分有効だ。上の引用文の「チェルノブイリ」を「福島第一」に入れ替えたとしても、そのまま意味が通じる。それだけ原子力行政は何も変わってこなかったのだ。それは、利益関係者が多くなるにつれ、政策変更ができずに、ずるずると戦争を継続していった、第2次大戦の悪夢と重なる。今回、菅直人首相は、福島第一原発の賠償をおこなうにあたって、国策の失敗を認め、国家による賠償と、白紙からのエネルギー政策の見直しを提案しているが、果たしてエネルギー政策の転換は可能なのだろうか。


 「チェルノブイリ原発事故」は、チェルノブイリについての高木の著作を、時系列順に並べてある。時間がたつにつれて、高木の諦観のようなものが字間から漂ってくる。「時の持つ忘却作用は無視できない。あれほどに衝撃的だったチェルノブイリの事故も、2年半を経過すると、過去の歴史の一コマとして、記憶の彼方に押しこめられてしまいかねない・・・(172ページ)」こうした鈍い挫折感も正直に吐露している。福島第一の問題も同じ道をたどるのだろうか。そうだとしたら、あまりにも切ない。
 現代にも十分通用する、示唆に富む一冊。必読です。


週刊 ダイヤモンド 2011年 5/21号 [雑誌]

週刊 ダイヤモンド 2011年 5/21号 [雑誌]


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