大朏博善「本当は怖いだけじゃない 放射線の話」


本当は怖いだけじゃない放射線の話 (WAC BUNKO)

本当は怖いだけじゃない放射線の話 (WAC BUNKO)


 放射線についての基本的な知識を得るために読んだ。入門書。オイラのような門外漢にも分かりやすい。「とにかく怖いもの」というイメージがある放射線。だが放射線そのものは、実は日常的な存在なのだと筆者は言う。「正しく怖がる」ことが必要である、これが筆者の主張である。


放射線は我々の身近にある


 我々は、日常的に放射線を浴びている。飛行機に乗ったり石畳を歩いたりすると放射線の量は若干だが増える。かといって、ラドン温泉、ラジウム温泉といった温泉地は放射線を多く浴びる地域であるが、健康被害が多いわけではない。ブラジルのガラパリという町は、放射線の量が多い町として知られているが、ガンの死亡率が高いというわけでもない。


 原子力以外にも、放射線は日常生活で利用されている。蛍光灯のなか、ブラウン管のなか、病院の医療器具。ガン治療や医療器具の消毒殺菌、放射線による消毒殺菌等など。少量の放射線により、免疫機能が高まったり、ガンの転移や増殖を抑えるはたらきもあるという。


 「こうした「メリット」と「デメリット」のバランスをもとに、私たちは社会にある現象や技術の取捨選択をおこなっている。・・・・放射線に関して一口に言えば、過大なデメリット評価がメリットを押しつぶしてしまっているのでははいか。前にも紹介したように「放射線を正しく怖がる」ことこそ大事なのだが、現実は「意味もなく怖がっている」ケースが珍しくない。
 それには、大いに同意できる。我々は放射線について正しい知識を持たなければならない。しかし、一部に同意しがたい部分もある。


福島第一の事故のあとでは「リスク管理」の文字も空しい


 この本は、社会に蔓延する放射線アレルギーを取り除きたいという目的で書かれた本なのだろう。原子力発電や事故、原爆などについて、かなり擁護的なのだ。広島の原爆エネルギーの85%は爆風と高熱であり、放射線が原因で亡くなった人の数は少ないという。また1999年9月30日に発生したJCO事故の重大さは認めながらも、放射線しか漏れなかったJCO事故と、放射性物質がばらまかれたチェルノブイリ事故では、根本的に違うと言う。「チェルノブイリ事故は、西側の安全基準が適用されていなかったという特別な事情」があり、また原子炉の設計も違う点から、日本の原子炉とチェルノブイリの原子炉を同一に語ることはナンセンスというわけである。


 だが、福島第一の事故が起こったあとでは「西側の安全基準」が優れているという言葉は空しい。「一年間に一万人もの人が交通事故によって死亡するのに、なぜ自動車に乗ることを止めないのか」筆者は自動車の利用と原子力の類似で論を進めようとするが、いったん事故が起こると何百万という人が命の危機にさらされ、長期にわたって環境が破壊される。原発事故は、自動車事故よりもはるかに社会的リスクが高いことが福島第一の事故で証明された。リスクと便益の関係を考えて有効利用するべき、という考えも説得力に欠ける。リスクと便益を考えれば、原発はリスクが高すぎる。そもそも「想定外」の事象によって致命的な事故がひきおこされる原発のような事例は、リスク管理にはそぐわないのではないか。


理性で統御できないものは数多い


 もちろん、分野によっては、積極利用のできる分野も多いだろう。本書はおおむねよく考えられて書かれており、書きとばしている感じは全くない。だが、人間理性で原発もコントロールできるという考えは、人間の奢りにつながりやすい。現代は、理性信仰の時代ではない、それが哲学・思想世界の常識なのだと、オイラは高校の倫理の時間に習ったのを思い出した。


倫理の教科書より
http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20110525/1306290427