解体新書「捕鯨論争」石井敦編著


解体新書「捕鯨論争」

解体新書「捕鯨論争」


 捕鯨問題についての良心的な好著。捕鯨問題は、授業でも一部触れる。認識が深まり、読んでよかったと思う。
 なにより捕鯨問題の全体像が概観できる。捕鯨推進側でもなく反捕鯨側でもなく、イデオロギーに彩られていない知識が手に入る。捕鯨問題をめぐる歴史、捕鯨の国際的管理、調査捕鯨の現状など、オイラは知っているようで知らなかった。


 なぜ捕鯨問題では日本は強気なのか


 そもそも、外圧に弱く、アメリカ追随型の外交を展開してきた日本が、なぜIWC(国際捕鯨委員会)では、アメリカやヨーロッパを向こうに回し、捕鯨推進という大立ち回りを演じてきたのだろうか。「商業捕鯨推進のために決まっている」という声が聞こえてきそうだが、本書では、そうではない、という(248ページ)


 水産会社は商業捕鯨の再開など望んでいない


 商業捕鯨の担い手の、マルハニチロホールディングス日本水産極洋の水産大手三社は、たとえ商業捕鯨が解禁されても再参入しないという。「世界で魚を販売する企業として、鯨にかかわって良い事は全くない」(日水・小池邦彦取締役) 「昔食べた人は懐かしいだろうが、他の肉のほうがおいしい」(日水・佐藤泰久専務)「若い人は鯨肉を食べない」(極洋・多田久樹専務)「捕鯨船は数十億円の投資がかかり、収支が合わない」(マルハニチロ・河添誠吾常務)(天木直人のブログhttp://www.amakiblog.com/archives/2008/06/14/#000933


 調査捕鯨は農水官僚の利益のために行なわれている


 ではなぜ調査捕鯨は継続されているのか。それは、水産庁、その天下り先である日本鯨類研究所水産庁の要請で調査捕鯨のみを行なっている共同船舶などの、「かぎられた利害関係者の既得権益」のためである。「この小さな既得権益を守るという理由で調査捕鯨に投入する税金を確保することは不可能である。そこで、既得権益の維持に関係なく調査捕鯨に税金を投入し続け、かつ捕鯨外交において調査捕鯨を最優先することが必要なのだ、と主張するための理由づけが必要になってくる。こういうときに便利なのが科学と文化、そして条約である(274ページ)」


 調査捕鯨は科学ではない


 ひとつめの「科学」においては、調査捕鯨である。調査捕鯨を科学として主張すれば、客観的で価値判断を伴わない、既得権益とは無縁のイメージ付与することができる。だが、調査捕鯨は、20年あまりの間に、日本は巨額の税金を投じ、11000頭のクジラを捕殺してきたが、南極海のクジラの管理に貢献するだけの研究成果をまったくあげていないと言う。そもそも、鯨類の調査は、鯨を殺さずともさまざまな調査が可能であり、11000頭の捕殺など不必要だったのだ。ではなぜ日本が調査捕鯨固執するのかと言うと、合法的に日本の市場に鯨肉を供給することができ、その売上により、調査捕鯨の費用が補填できるからにほかならない。


 鯨食は「日本の文化」なのか


 ふたつめの「文化」においては、鯨食を能や歌舞伎などと同列に置くことで、既得権益とは無縁な、当然継承されるべき活動としてのイメージを捕鯨に付与してきた。同時に、捕鯨に反対を唱える人を、日本文化を否定する日本の敵として批判することになる。
 たとえば、マンガ「美味しんぼ」の「激闘鯨合戦」には、尊大で差別的な発言を繰り返し、人種偏見を隠さない白人らの反捕鯨団体が登場する。この単行本はすでに146万部が発行されたほか、日本捕鯨協会は、この章だけを単独で冊子化したものを少なくとも1万数千部作っているという。こうした捕鯨推進側の啓発(?)発行物を読むと、多くの国民は、鯨食は日本の食文化と思いこむ。しかし、本書が指摘するには、クジラを捕獲しない・食べないというきまりを守ってきた地域も日本にあったという。「局地的かつ一時的な鯨肉食を文化と名付けるのであるならば、このクジラを捕らない・食べない習慣も日本文化に含まれていなければならない(156ページ)」というのだ。「鯨食=食文化」論は、捕鯨を推進する側のプロパガンダとして報道機関との共生関係のなかで作り上げられてきた論理であるという指摘も興味深い。


 官僚にまんまとノセられてきた


 三つ目の「条約」についても同様で、調査捕鯨が1946年に締結された国際捕鯨取締条約によって認められた、国際法的にも正当な行為であると強調することで、政治的意図とは無関係であり、ただ単に条文に基づいて粛々と調査捕鯨を実施しているというイメージを付与することができる(276ページ)。
 「こうした政治とはもっとも縁遠い存在としてイメージされる科学・文化・条約という理由づけを外交方針に組みこむことで、調査捕鯨を税金と労力を投入すまでも支えるべき対象として、仕立てあげてきたのが、これまでの日本の捕鯨政策だったと言える(276ページ)」


 水産庁や鯨類研究所もまた、商業捕鯨の再開など望んでいない。調査捕鯨が継続されることが、関係者の利益につながるのである。そのために、IWCでは、反捕鯨国との対立が強められてきたし、調査捕鯨ナショナリズムのシンボルにする操作が行なわれてきた。問題は、一部の利益関係者のために、アカウンタビリティを欠いた税金の拠出が積み重なっているところにある(283ページ)


 ここでも「官僚による弊害」である。我々はまんまと官僚に乗せられてきた。筆者のいう、日本近海の一部の沿岸捕鯨商業捕鯨として認め、厳重な科学的管理の下再開し、公海上での調査捕鯨は全面禁止にする案が、合理的にIWCで採るべき方向性のように思える。しかし、現在の捕鯨・反捕鯨の、硬直した考え方のなかからは、こうした柔軟な考え方は生まれえないようにオイラには思えた。


美味しんぼ (13) (ビッグコミックス)

美味しんぼ (13) (ビッグコミックス)


 本書を読んだあとで読むと、雁屋哲が、水産庁のスポークスマンに見えてしまう。