アビエイター/その1



    (結末に言及しています)



 ハワード・ヒューズの半生をモデルにした、レオナルド・ディカプリオ主演の話題作。第77回アカデミー賞は5部門受賞(ノミネートは11部門)。マーティン・スコセッシ監督。


 元々はディカプリオからスコセッシのもとへ持ち込まれた企画であり、ディカプリオが目立つスター映画であることは確かなのだが、それだけにとどまらず細部まで目の行き届いた、見ごたえのあるフィルムに仕上げられている。ダイナミックな航空機の場面やモブ・シーンなどのスタッフ・ワーク、熱演の役者たち、練り込まれたシナリオ等、総合点が高い。優秀なスタッフの手で、才能と時間と金をふんだんにかけて作られていることが伺われる。


 主人公のハワード・ヒューズは、大富豪、航空家にして奇人と評された人物であるが、「アビエイター」で描かれているのは、活動的に映画製作や航空機製作などに取り組んできたその前半生である。その姿が、「タイタニック」で名実ともに世界を代表する大スターになり、野心的な大作に取り組もうとするディカプリオの姿に重なる。「有名がゆえの名声と孤独」という部分にディカプリオが魅かれ共感したのも頷けるし、映画化を強く希望したのも理解できる。


 ハワード・ヒューズは、金を湯水のように使い、常人がなしとげることのできない業績を残した。変な例えだが、まるで筒井康隆富豪刑事」のようだ。強者の論理で自分の夢を実現しようとするハワード・ヒューズのこうした姿を、この映画は肯定する。ラスト近くの公聴会の最後、上院議員を言い負かしたヒューズに聴衆から拍手が送られる。そして彼は困難を超えて巨大な飛行艇を離陸させる。それは世界の覇者を自認していた強いアメリカと重なるものだ。「富豪刑事」は一種の夢物語だが、「アビエイター」は、現実に即している。


 もちろん、この映画は単純なナショナリズムや現状肯定の映画ではない。もっと複雑で多面的だ。

 「アビエイター」は、ハワード・ヒューズの中に潜む狂気にもスポットを当ててみせる。その狂気こそが、アメリカ社会に潜む病理ともとらえる見方もできるだろう。ラストで「未来への道だ」と、何回も繰り返し唱えるヒューズ。彼の暗い後半生を暗示しているようにも、アメリカの行く末を暗示しているようにも見える。さまざまな意味にとらえられる、印象的で秀逸なラストである。

 また、アメリカ映画らしく、フロイト的に解釈できる要素も見られ興味深い(たとえば、部屋に閉じこもったヒューズが裸で牛乳を飲んでいた!)。また、ハワード・ヒューズの心理と彼の病である強迫神経症については、僕などがなけなしの知識を開陳するより、こちらのサイトやメルマガなどを参照するといい。http://eisei.livedoor.biz/archives/17238425.html「シカゴ発 映画の精神医学」

(つづく)


アビエイター@映画生活