不愉快でリアル「アイ、トーニャ」
『アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル』予告編(5月4日(金・祝)公開)
■ナンシー・ケリガン襲撃事件で有名な元フィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングの半生を描いた映画「アイ、トーニャ 史上最大のスキャンダル」に、とても印象的な場面があった。主人公のトーニャが試合後、帰りがけの審査員に聞く。「全部のジャンプに成功したのに、高い点をつけてくれなかったのはなぜですか」審査員は言う。「スケートだけの問題じゃない。オフレコで言うが、君は私たちのイメージと違うんだ。国の代表なんだぞ。完璧な「アメリカの家族」を見せてほしいのに、君はそれに抗っている」
■トーニャは貧困家庭で育った。母親からの罵倒と暴力、夫はDVの常習者。「理想的なアメリカの家族」からは絶望的に遠い。トーニャが「完璧な品格あるアメリカ」をリンクで演じても、審査員の求めるイメージとは決定的に違う。ホワイトトラッシュがフィギュアスケートをやる、そのギャップに苦しむ。ラスト近く、オリンピック前のメイクが決まらずに、顔をグチャグチャにしてしまうシーンが悲しい。
■人は自分の見たいものだけを求める。「オリンピック」となればなおさらだ。観客や審査員は完璧を求める。トーニャがあがけばあがくほど、事態は悪い方へと進む。とくに映画の中で描かれるナンシー・ケリガン襲撃事件の顛末は、悪夢を見ているかのようだ。チンケな思いつきが、愚かな人々がかかわることによって、とりかえしのつかない事件にまで発展してしまう。
■オリンピックがなかったら、ナンシー・ケリガン襲撃事件はなかっただろう。トーニャの人生も、平凡な挫折を味わうだけで終わったはずだ。オリンピックになると皆が我を忘れる。勝者は必要以上に称賛されるけれど、それ以外の者には冷淡と失望しか与えられない。さらに異端や不審者(に見える者)は、笑いものにされ、悪役のレッテルを貼られ、異物として排除される。それこそが現実。哀れなトーニャ。ダメ人間たちが引き起こした「喜劇」だとは、オイラは到底思えない。誰が何と言おうとこの映画は「悲劇」である。
■人は皆簡単に馬鹿馬鹿しく間違える、ほんとうは皆が愚かな存在なのに、不寛容は大手を振ってまかりとおる。息のつまるような現実の空気を、トーニャと一緒に吸った不愉快でリアルな2時間。いろいろ考えさせられた。
映画「アイ、トーニャ」。白人貧困家庭に蓄積された矛盾が、衝動暴力として噴出するサマが、名作と評判の「スリー・ビルボード」に何となく似ている。理性で制御できない「暴力」に至る「気分」をシニカルにとらえた傑作が、米国で立て続けに生まれているのが興味深い。https://t.co/ULJrAbdAdu
— 古田 彰信 (@furutaakinobu) 2019年2月28日