五十嵐太郎編著「ヤンキー文化論序説」河出書房新社


ヤンキー文化論序説

ヤンキー文化論序説


 ヤンキー文化にオイラが興味を持ったのは、1980年代まで多く見られた「ヤンキー」と呼ばれた人々が、最近めっきり姿を消してしまったことに気づいたことだった。当たり前のようにあったものが、なくなってはじめてその存在に気づく。なぜ「ヤンキー」はいなくなったのだろう? 2009年に出版されたこの本は、そうした疑問をはじめ、ヤンキー文化を総括的に知ることのできる好著である。


 ヤンキーがいなくなった理由は、社会の変容というキーワードで説明できる。暴走族やヤクザへの風当たりや警察の取締が厳しくなった。旧来の共同体が変容し、居場所(受け入れ先)としての地域社会が解体された。格差社会が進み、ドロップアウトしてしまうと「まともな仕事」につける見込みがなくなった。反抗して学校に行かなくても生きていける可能性が少なくなったのである。ヤンキーから社会の変化を眺めるという視点は、まったく気づかなかった視点だけに、この本は読んでよかったと思う。


 ヤンキー文化の源流をたどる記述で印象に残った箇所を引用しておく。

 「ヤンキーファッションはなぜかくも強烈なのか。その最大の特徴は「逸脱文化の異種混交」とでもいうべき、不良のシンボルをごたまぜに組み合わせたところだろう。


 リーゼント、サングラス、アロハシャツのアメリカ文化、学ランやボンタンなどの改造学生服に見られる反学校文化、パンチパーマ、ドカジャン(作業服の防寒ジャンパー)や甚兵衛(羽織)などの極道・労働者文化・暴走族なら革ジャン・編み上げ靴にオートバイのバイク・カルチャー、特攻服、鉢巻き、日章旗の右翼スタイル、さらにはチャイナ服やハーレムパンツのような無国籍民族文化・・・・。歴史的には地理的にもまったく異なるワードローブを引っかきまわし、強引にひとつにするのがヤンキーファッションの真骨頂だ。


 しかし、それらはまったくでたらめに選ばれたわけではない。それぞれのアイテムは日本社会における不良文化・逸脱文化の系譜から取られている。


 リーゼントにアロハは戦後の不良少年が好んだスタイルだったし、学ランは学校文化への、ドカジャンや甚兵衛も中流指向への社会へのアンチのメッセージであった。革ジャン・ジーンズは映画「乱暴者」などのバイカーやロッカー、50年代のカミナリ族に連なる典型的な反抗する若者のスタイルだ。旧日本軍やカミカゼを連想させる特攻服や日章旗にいたっては、戦後民主主義にとって悲惨な戦争のシンボルである。ヤンキーはこうしたアウトローや逸脱者のイメージを組み合わせることで、70年代中流社会への不満や苛立ちを形にしたのであった。(「ヤンキー・ファッション/過剰さのなかの創造性」成実弘至


 勤務校の演劇部の芝居の関係で、不良文化についての本や映画を見ていると書いたら「ヤンキーの芝居をするのですか」と聞かれた。少し違う。「ヤンキー」「不良」というレッテルを貼られカテゴライズされ記号化されてしまった、誇張した「不良」を描くつもりはない。かつての不良文化のもっていた批評性の主題に通底させたいという程度のことで、不良文化の意匠を表面的になぞった芝居をするつもりは、まったくない。


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