農業と天皇と柴刈りと

■オイラは人糞肥料を覚えている最後の世代。風呂も薪燃料の五右衛門風呂、というビンボー話に高校生はビックリするが、循環型社会は千五百年間、この間までそこにあったのだ。天皇一族だって稲作普及により支配体制を整えた。農耕はこのクニの基盤。だからオイラは子どもに農業に関する名前をつけた。

■武士も天皇も農村から生まれた。徳野貞雄先生曰く、ムラが壊れるということは、単に農業が衰退するだけでなく、日本社会の機能的共同性が弱体化することだと。危機感を持つ国は、国旗国歌や道徳で共同性強化を図るが、稲作について知り、農業の再生をはかることの方が、地に足がついて受け入れられやすいと思う。

■「桃太郎」の爺がしたのは、芝刈りではなく「柴刈り」。「柴刈り」は雑木林の手入れや燃料用の薪集めのこと。昔話ですら生活実感が失われては、正しく伝わらない。オイラは地理教師だから、できるかぎり生活実感を伝えることに腐心している。そして柴刈りも芝刈りも、重労働であることには変わりがない。

65年前の高校生にできたこと

■1953年11月26日付、勤務校の校内新聞の高校生の論説を紹介する。校長会の横暴を校内に知らせ、日和見的な高校生の態度を批判し、学校に生徒自治に必要以上に介入しないよう釘をさす。本来なら高校生はここまでできるのだ。それを阻止しているのは何かを考えるべきだ。

 

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 論説「各校生徒会の危機に際して」

      (昭和二八年十一月二十六日付 城東高校新聞より転載)

 

 

 本校生徒大半の賛成を得た県高校生徒会連盟は遂に結成されなかった。県高校校長会の反対にあったのである。連盟結成準備の最初の会合に出席したのが十三校、第二回目が十二校、その直後校長会議が開かれ校長会は連盟結成に賛成しないことが決定された。はたして第三回の会合に出席したのは本校と他一校。ここにおいて連盟結成運動は立ち消えとなったのである。第三回会合に欠席し各校生徒会の代表者は、それぞれの学校で出席を禁じられたようである。

 

 十日付の大阪の夕刊K紙の社会面には『八日から京都同志社大学で行われている全日本学園復興会議で和歌山県新宮高校の井上君が次のように訴えた。去る七月十四日田辺市へ講演に来ていた同志社大岡本教授に同校前生徒会委員長千葉君が同校で行われる“平和展”に講演を依頼したところ同教授は快諾したがその時千葉君はつい『校長の承認を得た』といってしまった。そのことが校長の耳に入り講演会は禁止された。二ケ月後の九月十四日職員会議の名で千葉君に無期停学が言渡された。あまりのことに井上君ら四名が校長に抗議し、2回にわたって抗議集会を開いたところ同月廿九日今度はこれら四人が無期停学になった。その上学校新聞の写真班として校長室に入った新聞部員や代議員会議長、副議長、抗議大会で学校側を非難した者等七名が戒告処分を受けた。また新聞部は解散させられ、一切の生徒会活動は停止されている。九日現在で千葉君は処分されてから六十五日目、他の4名は四十一日目となっており、五名のうち三名は三年でいずれも進学の希望があるが出席日数不足で単位が取れず、卒業さえ難かしい状態である』と報道されている。

 

 これらの事実は生徒会に対する学校の圧力がだんだん強くなりつつあることを意味するのではなかろうか。幸いにして本校では生徒会連盟の準備会合への出席は禁じられはしなかったし、生徒会役員が処分を受けたということも聞かない。しかし他校のことだからといって対岸の火災視できない。本校生徒会長速水君の言によると本年三月の授業料値上げ反対運動の場合も役員は校長室で説得を受けた。

 

 役員改選も近づきつつある現在、我々は生徒会に対する認識を新たにしなければならない。代議員会での議員の発言が少ないのも責任はそれ等の議員を選んだ各ホームになる。代議員会をいつもサボる者や、一言の発言もせずただ沈黙を守る者でも、学業の成績がよいからといって代議員に選ぶことがまちがっているのである。ろくに発言もせずにおいて会が終わってからとやかくさわぐ代議員がいかに多い事か。

 

 昨年岡本会長の時代より本校生徒会活動は活発である。しかし生徒会連盟の挫折以来そろそろおとろえだしたように思われる。ここで低調におちいっては一大事、学校側の権力が強くなっては生徒会も有名無実の機関になってしまう。生徒諸君に注意を促すと共に、学校側に生徒会に対する理解を深め他校をマネて生徒会に圧力を加えるようなことをしないように要望したい。(担当=○○)

三木清に叱られる -読書のススメ-

 皆さん、こんにちは。

 賢明な皆さんですから「読書が役に立つ」ことぐらい、もうすでに知っていることでしょう。勉強に部活動に忙しくて読めないヨ、自由な時間がないヨという人もいるでしょう。そういう人に対して、一介の教師が、読書のススメを手垢のついた言葉で語っても、きっと響かない、そう考えると、私には語る言葉が出てきません。

 ならば、とくべつな人の言葉を引用しようと思います。三木清(1897-1945)。聞いたことがありますか。彼は戦前戦中に活動した「哲学者」です。多くの人が当たり前だと思って見過ごしてしまう事柄のなかに、キラリ光る意味や価値を見出す、そんな仕事をした人でした。「人生論ノート」という著作が有名で、国語の教科書に載っていたこともありました。

 三木清は「如何に読書すべきか」というエッセイの中で、読書の目的について、こう言っています。「一面的な人間」にならないために読書するのだ、と。

 私たちは、効率優先の競争社会に生きています。大学受験もそうです。奇しくも一九三〇年代後半にも同じような現実がありました。三木清は言います。(よければ声に出して読んでみて下さい)「彼等の自然の、青年らしい好奇心も、懐疑心も、理想主義的熱情も、彼等の前に控えてゐる大学の入学試験に対する配慮によって抑制されてゐるのみでなく、一層根本的には学校の教育方針そのものによって圧殺されている」(注1)まるで現代の高校生を見て書いたかのような文章ですが、これは、八十年前の学生について書かれたものなのです。 

 昔の大学受験でも今と同じく、あらかじめ整理された知識を、効率よく吸収していくことが求められました。主体性や批判力の育成は、むしろ邪魔なものとされました。戦争の足音が近づいてくる時代にもかかわらず、いや戦争が近づいてくる時代だからこそ、学生は社会の矛盾に関心を払わなくなり、ただ目先の点数に一喜一憂する状況に陥っていることを三木清は嘆いたのです。

 物事を単純化して、深く物事を考えない人が増えています。「テストの点がよければいい」というのは、一面から見た物の見方にすぎません。物事を深く根本のところから、多面的に見て考えないと、ほんとうの現実をとらえることはできません。大学受験について言えば、いま私たちが直面している、偏差値によって序列化され選別されるシステムこそを疑うところから、私たちは考えて、どう生きるべきか葛藤しなければならないのだと思います。

 試験の正解はひとつですが、現実は多面的で複雑です。いろいろな本を読むことで、私たちは、さまざまな考え方や価値に触れることができます。読書は世界を多面的に読み解くための力と知識をあなたに与えてくれる、三木清が言いたかったことはそういうことだ、などと言うと、向こう側にいる三木清に「単純化するな」と叱られると思いますが、とりあえずそんなことを考えている新年度です。

    (注1)三木清「学生の知能低下について」1938 より

 

※2019年度、勤務校の学校図書館の校内啓発紙「Library News」に、高校生向けとして寄稿したもの。

 

元号が変わる前に書き残しておきたいこと

■教師生活30余年。届や願を出す時には、元号を消して西暦で記入するスタイルで通してきた。公文書の元号使用には法的根拠がないにもかかわらず、用紙に元号が予め記されていることが、思想信条の自由への無言の圧迫だと感じて、それに抵抗してきたのだ。

 

■西暦使用で通しても、学校では大きな軋轢はなかった。元号の法的根拠となる元号法に関しては、その使用を国民に義務付けるものではないとの政府答弁があり、法制定後も、多くの役所で国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されてきた。ところが、ペーパーレス時代になって、PC画面のフォーマットには、あらかじめ元号のみが記されていることが多くなった。PC画面の元号は消せない。仕方なく元号のままで願や届を出すことが多くなった。便利になる代償に、わずかな抵抗の箇所さえ明け渡さざるをえなくなった。

 

■ネット検索すると「公文書日付が元号なのは、701年の大宝令に拠っている」と書かれている。当時は十干十二支による紀年法も使われていたが、あえて元号にしたのは、天皇制と官僚制を基盤とする中央集権国家の基盤固めに利用する意図があった、とのこと。元号は、何度も政治的かけひきに利用されてきた歴史がある。こちらのページによくまとめられている。https://www.excite.co.jp/news/article/Bizjournal_mixi201903_post-14835/

 

■オイラが元号使用を避けるきっかけになったのは、同和教育の係を長年やってきたからだった。人権教育が同和教育と言われていた2001年度以前、同和教育の担当者には、元号を使わない人が多かった。同和問題天皇制が裏表になって、部落差別を温存するシステムになっていることを、問題を解決する側が見抜いていたのだ。とくに部落解放同盟が、天皇制のシンボルである元号や日の丸を嫌った。だから元号をあえて使わなかった。オイラもその一人だった。だが国旗国歌が法制化され、部落解放同盟組織力が衰弱していく過程で、天皇制に対するストレートな違和感に依拠して元号を回避する人は、少なくなった。頑固なオイラは天然記念物のような存在だったのだと思う。

 

 ■4月1日に新元号が発表される。安倍首相の「安」の字が入るのではないか、と、いま、まことしやかに噂されている。まともな総理大臣であれば、そんなことはしないと思う。知り合いの教育公務員は、「もし「安」の字が元号に入ったら、できる限りの文書の日付を西暦表記にする」と息巻いている。元号の露骨な私物化は、国民を分断する。末代まで「愚かな総理」と揶揄されることになるのだ。

 

 

青春は恋と革命だ!

 勤務校の講演に来てもらいたいのは、大先輩OGである瀬戸内寂聴だ。体育館の全校生徒を前に「青春は恋と革命だ!」とアジテートする姿を夢想する。ラジカルな言葉こそ若者に響くだろう。

 

 勤務校の図書館で「美は乱調にあり」を借りて読んだ。のちに大杉栄の妻となる伊藤野枝の伝記。愛と革命に生きた「新しい女」という逸脱者に共感を寄せて書かれた作品である。古い閲覧カードに、恩師の古典の女性の先生の名前をみつけた。

 

 オイラの話は、もちろん夢想にすぎない。一度勤務校に来られて講演いただいたこともあったのだが、そのときの内容は至極穏当な内容で、「恋と革命だ!」といったハジケた内容ではなかった。だが、今なら「ひょっとしたら」と期待してしまう・・・。

三木清「学生の知能低下について」

■「今日の高等学校の生徒においては、彼等の自然の青年らしい好奇心も、懐疑心も、理想主義的熱情も、彼等の前に控えている大学の入学試験に対する配慮によって抑制されているのみでなく、一層根本的には学校の教育方針そのものによって厭殺されている」現代の高校の実情を書いた文章のように思えるが、この文が書かれたのは、何と1937年。学校を取り巻く状況は、昔も今も変わらないことに驚く。

 

■この文「学生の知能低下に就いて」を書いたのは、哲学者の三木清三木清は、満州事変を境にして学生は変わったと嘆いた。国家の文化・教育政策の積極化が、学生の知能低下を招いていると。社会的関心を持たず、現実に対して批判を放棄していると。なのに学校の成績に関しては神経質。それは、現代の高校生や大学生の姿そのものである。

 

■偏差値による選別体制の下では、人は狭い枠内の「正しさ」と「効率」を追求する。無駄なこと、間違うことを避け、効率的に正解を得ることが求められる。そこには深く物事を考えることは含まれない。時間の無駄だからである。だが三木清は言う。「詩人は言った。「人は努力する限り誤つ」、と。間違いがないということは、真に努力していない証拠であるとすら言うことができる」。

 

■また三木清は、教師側の問題も指摘する。学生の状況は社会や政治の情勢に規定されているのだから、教師が、社会や政治の情勢を見据えないで学生論を説くのは間違っていると。今の教師はさぞかし耳の痛い話であろう。

 

 

英数コースはなかった。

■上下関係が重視され、成果主義に陥りやすい部活動は、選別体制とは親和性がある。部活動はいまや教師をブラックな職場環境に追い込むほどに隆盛を極めている。また部活動によって生徒指導がなされているという側面もある。なぜ生徒指導と部活動に親和性が生じているのか、我々は注意深く考える必要がある。

 

■これとは反対に、教室(HR)の教育力は、犠牲にされ続けた。最たるものは、英数コースの設置だった。リーダーを引き抜き受験に囲い込み、連帯が削がれた。それは、その高校が受験体制に屈服した宣言でもあったのだ。

 

■オイラの現役時代、二つ上の学年までは、英数コースはなかった。城東高に英数コースのできたきっかけは、共通一次と総選制だった。総合選抜制度では偏差値による選別体制に対応できないと判断されたのだ。共通一次試験により大学の序列化が見事に完成されたとき、高校生も校内で序列化されたのだ。当時の教師たちは、どんな気持ちだったのだろうか。

 

■いま選別体制を批判する声は、ほとんどあがってこない。英数コース批判も共通一次センター試験)批判もなりをひそめた。当たり前になって、どこに問題があるのかが不明瞭になった。教師を日々忙しくさせておくのは、批判のとば口をふさぐためなのではないか、そんなことをふと思う。