乙一「GOTH]
些細な描写が気にかかる。
殺人鬼の手記を拾って、
死体を探しに行く高校生のGOTH男女が、
直前に食べるのは「蕎麦」。
そんな枯れた食べ物を作中の人物に食べさせてどうする!
僕なら、ここはたっぷり食べさせる。肉、とか、もっと精のつくものを。
作中の人物は、死を意識している男女だからだ。
「店長は二度と戻らないと宣言する僕を、森野は不思議そうに見た」(夜巻45ページ)
こうした描写は「説明」だ。作者の中の森野は、きっと不思議そうな顔をしていたのだろう。だからこそ、「不思議そうに」見る、というところは、「不思議そうに」という手垢のついた言葉を避けたいところだ。こうしたストレートさは、作者の「若さ」なのかも知れない。
ふたたび引用。
映画や小説には「それが何を意味するのか分からないもの」が映りこんでいる。
それは意味に敵対するものではなく、
それこそが私たちを解釈へと動機づける、
意味生成の動力である、と述べたのは内田樹「映画の構造分析」。
つまり、よくできた、出来事をきちんと説明しきっている、
ウェルメイドな小説や映画は、
解釈へと我々を誘うことがない、という意味において、
「退屈」な作品なのである。