週刊東洋経済2013年3月2日号「特集 ヤンキー消費をつかまえろ」



 タイトルに魅かれて読む。ウーム。期待していただけに拍子抜け。


 まず「ヤンキー」についての定義が不明瞭だと思う。冒頭にこうある。「ヤンキーといっても、不良でもなければ、暴力、犯罪とも関係ない。地元を愛し、仲間と絆を愛する新保守層のことだ」


 さらにこう続く。「彼らは極めて温和で調和を好む。小・中学校の友人をずっと大事にし、遠出をよしとしない。そのまま同級生と結婚、地元にしっかりと根をおろし、家族が何より大事な人生。活動範囲が狭く、世間体も無視できない。長い経済停滞期を生きてきただけに、上昇志向が薄く、現状を維持できれば十分だ」


 オイラは思う。ヤンキーと言えば、一般的には不良度の高い青少年を指すのではないか? 本特集の定義でヤンキーを語るなら、地方在住のオイラの周りにいる人のほとんどがヤンキーになる。要するに、ここでいうヤンキーとは、地元思考の強い、ヤンキー的感性を持つ保守層の総称らしい。「新保守層」と言う言葉も使われているが、これも定義がはっきりしていないので、厳密に考えれば考えるほど、オイラは混乱してしまう。


 さらに本記事では、ヤンキーを「地元族」「丸の内隠れヤンキー」「Mart族」に大別して、それぞれの消費傾向に言及している。だが、この大ざっぱな3分類で、ヤンキー的感性を持つ保守層の類型を総括できるはずもない。「新保守層にはこんなタイプの人がいますよ」と、多くの類型のうちからいくつかを、思いつきで拾い出しているだけに思える。


 「世界が土曜の夜の夢なら」の斎藤環氏のインタビュウ記事も載っているが、さすがに「ヤンキー」「ヤンキー的」「ヤンキー文化」という言葉をきちんと使いわけていて、定義に関しては雑駁な印象は少ない。だが、「アベノミクスはヤンキーのノリ」とタイトルに謳ったり、「ヤンキー文化のマイナス面が日本に広がりつつある」などと総括するのには、行きすぎだろうと思う。


 具体的に言えばこうだ。斎藤氏は、安倍晋三の中にヤンキー的発想が見られると言っているに過ぎない。それをアベノミクスがヤンキーのノリそのものと受け取れるような見出しをつけるのは、一面的で乱暴すぎる。また「ヤンキー文化のマイナス面が日本に広がりつつある」に関しても、広がっているのは、復古的な保守主義であり、その中にヤンキー的文化と相通じる部分があると言うだけのことだとオイラは思う。


 「ヤンキー的」というのは便利な概念だ。「ヤンキー的」とラベリングすることで、ありとあらゆるものを包摂できる。「○○はヤンキー的だ」と言うと、何となくそうかなと思わせるのは、血液型占いと相通じるところがある。本特集は、思いつきを羅列している感じで、まるで時間つぶしの雑談風に思える。オイラが経済誌に求めるのは、もう少し読み応えのある内容である。もう少し真面目に「ヤンキー的なるもの」に取り組んでいただきたかった。


 その他、じっくり読むとツッコミどころは多い。とくに、思わず笑ってしまったのは以下の部分。


 「たとえば車だ。大きな車は買えなくとも、仲間とドライブはしたい。5人ぎゅうぎゅうに乗っても息苦しく感じない車が欲しい。そこで、ホンダのN BOX、ダイハツ工業・タント、日産自動車・ルークス、スズキ・パレットといったスーパーハイト(車高が高い)ワゴンが人気を集める」


 って、この文章おかしくないか? N−BOX、タント、ルークス、パレットは軽自動車だから、定員は4人だって!


週刊 東洋経済 2013年 3/2号 [雑誌]

週刊 東洋経済 2013年 3/2号 [雑誌]

 


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