春日太一「仁義なき日本沈没」新潮新書
仁義なき日本沈没―東宝VS.東映の戦後サバイバル (新潮新書)
- 作者: 春日太一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2012/03/01
- メディア: 単行本
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いやー、知らないことばかりである。興味を持って一気に読んだ。本書は、戦後日本映画を牽引した東宝と東映という二つの映画会社の盛衰を通して、高度経済成長期(1973年)までの戦後映画史を振り返る。映画の世界にも、戦後の「はじまり」と「終わり」は、はっきりと刻印されているのだ。それはどういうことか、本書の内容に即して書いてみたいと思う。
東宝と東映。ホームドラマと文芸調路線で安定した地位にあった松竹とは対照的に、この二社は、戦後つばぜり合いを繰り広げ、互いに激しい浮沈を繰り返してきた。まずは第1章で描かれるのは、1948年の第3次東宝争議のすざまじさである。最終的には2500人の武装警官の他、米軍が出動し、飛行機と戦車まで出動して物々しい実力執行が行われたのだった。
五所平之助、今井正、楠田清、亀井文夫などの映画監督、岩崎昶、伊藤武郎などのプロデューサー、山形雄策などの脚本家、宮島義勇などのカメラマン、ニューフェイスの若山セツ子、久我美子、中北千枝子といった俳優も数多く参加した。各セットの小屋の前には、不燃塗料を詰めた大樽を複数並べ、各樽の上には零戦のエンジンを搭載した特撮用の大型扇風機を持ち出してきて設置した。警官隊が突入してきた際、風圧で砂利やガラス片、塗料を飛ばすものであり、実際にこれは使用された。屋根や窓から、木片やガラス球を詰めた袋を落とす仕掛けも作られていた。電流を流した罠も設置された。
(ウィキペディア/東宝争議 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AE%9D%E4%BA%89%E8%AD%B0)
熾烈化した労働争議で治安維持のために米軍(一個中隊)や戦車や飛行機が出動したのである。映画人たちは、砧撮影所を自由主義の牙城とみなし、まるで戦場のように戦おうとしたのだ。当時の労働運動の激烈さがよく分かる。これらの労働争議については、別の機会にもう少し詳しく調べてみようと思う。
内田巌『歌声よ起これ(文化を守る人々)』(1948年、東京国立近代美術館蔵)
続いて、第2章で描かれたのは、東宝と東映の1950年代の「時代劇戦争」。東映の2本立て興業の確立とそれにともなう時代劇映画の量産。1950年代後半は、東映時代劇が日本映画界を席巻した時代である。片岡千恵蔵、市川右太衛門に中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵、美空ひばりらといったスターが活躍したのはこの頃である。これに対し、東宝は「七人の侍」「用心棒」「椿三十郎」といった黒澤明の「リアリティのある殺陣」「製作費や時間をかけた大作」で対抗する。そしてついに、1962年の正月、マンネリズムに陥った東映のチャンバラ映画を、「椿三十郎」の東宝が配収で上回る。独走する東映を東宝がとらえ、ついには逆転したのである。
そして東宝の黄金時代がやってくる。1960年代に入り、映画産業は斜陽の時代に入っていたが、東宝は好調をキープ。黒澤時代劇や「ゴジラ」シリーズ、「社長」「若大将」「無責任」シリーズなどのヒット作が続出した。だがこの東宝の黄金時代も長くは続かない。本書の第3章では、岡田茂(東映)と藤本真澄(東宝)二大プロデューサーによる1960年代の映画斜陽期のサバイバル戦争の様子が描かれる。東映=岡田茂は、テレビ時代劇と任侠映画路線、エロと暴力路線により、健全さにこだわる東宝=藤本より覇権を奪い、1960年代後半以降、ふたたび東映の時代を取り戻すのである。
第4章と最終章は、両社とも行きづまった1973年、東映は「仁義なき戦い」、東宝は「日本沈没」を公開しそれぞれ大ヒット、両社とも息を吹き返す様子を描いている。1973年と言えば石油ショックにより高度経済成長が終焉した年。映画のあり方も従来のあり方が変わった年だった。量産の時代が終焉し、2本立興業から長期1本立て興行が定着する。公開本数は減少し撮影所システムは崩壊し、東宝はフリーブッキング化、東映は映画村をはじめる。
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「仁義なき戦い」と「日本沈没」の2本は、戦中派の作り手が、戦後日本のあり方や従来の映画表現を否定することで大ヒットにつなげた作品である。これこそ、古きよき時代の終わりであり、新しい時代の始まりを告げる出来事になったと筆者はいう。
たとえば「「仁義なき戦い」はアウトローの戦後史である」と本書は位置づけたうえで、第4部「頂上作戦」でカットされた場面を紹介する。それは、ヤクザたちが市民から袋だたきにあう姿である。
「市民による正義の鉄槌ではない。自らの価値観と異なるモノを汚物として排斥しようとする高慢な排他性だ。ここでの「市民社会」に対しての笠原(脚本/フルタ注)の捉え方は「加害者」であり物語上の「悪役」なのである。/笠原にとって、高度成長に酔いしれ、生活も価値観も綺麗に整地されていく当時の状況は、生きにくいものであったようだ(215ページ)」
当時のそうした問題意識は、のっぺりとした市民的価値で社会が整地されてきた、現代社会の物足りなさと通じる部分がある。4/11エントリーで触れた菅沼光弘「この国の不都合な真実」でも触れられていたが、ヤクザが「反社会勢力」と固定され、基本的人権すら奪われてしまう状況の息苦しさは、「仁義なき戦い」が描こうとした市民社会の「いやな感じ」そのままである。
こうして見ると、本書が「東宝争議」から筆を始め、1973年の「仁義なき戦い」「日本沈没」で筆を締めくくったのは、東宝・東映の映画史を語ることで、「戦後」をあぶりだそうという筆者の明確な意図があったのだとオイラは受け取った。東宝争議で文字通り「戦った」人々の姿は、今の社会には、すでにいない。のっぺりとした社会に生きながら「それでいいのか」とオイラは強く自問するのである。
1970年代後半に、テレビの洋画劇場によって映画に目覚めたオイラにとって、映画と言えば洋画であって、邦画は面白くないというイメージがあった。とくに東映と言えばヤクザ映画ばかりで、映画館にもほとんど足を運ぶこともなかった。だが本書を読んで、改めてオイラは何も知らなかったのだなあと実感した。映画監督の個人史はともかく、戦後日本映画史(東映・東宝史だが)を俯瞰する本を読んだのは初めてであり、とても知的好奇心を刺激された読書体験となった。これでいろいろな作品の中の事柄の平仄が合った。何をいまさらと言われるかも知れないが、黒沢映画がリアリズム指向だったのも、1950年代の東映のチャンバラ映画に対するアンチテーゼだったのだ。
そして「戦後」を生きた映画人の、映画に賭ける熱い情熱が、横溢していることをオイラは確認したのだった。