第26回高知県高等学校演劇祭その4


第26回高知県高等学校演劇祭 その1
第26回高知県高等学校演劇祭 その2
第26回高知県高等学校演劇祭 その3
第26回高知県高等学校演劇祭 その5
第26回高知県高等学校演劇祭 その6
第26回高知県高等学校演劇祭 その7
第26回高知県高等学校演劇祭 その8


7 土佐高校「7人の部長」作/越智優


 高校演劇関係者なら知らぬ者はいない有名な台本。私立ヤツシマ女子高の部活動予算会議に集まった7人の部長が、教師が決めた予算案を見直そうと話し合う。オイラも上演したことがありその経験から言うと、実はかなり難しい台本だと思うが、土佐高の人達のセリフは結構稽古を積んでいた。60分の作品として書かれたものを、セリフを早く言うことで短い時間で上演しようという作戦のせいか、役者たちは結構な早口。それでも意味内容はよく伝わってきた。


 問題は「動き」である。台本がセリフ中心で書かれているので、動きを企まないと動きの乏しい芝居になってしまう。さらに言うと、登場人物が結構多いので、よほどの経験とセンスがないと、うまく役者を動かすことは難しい。内藤裕敬氏も四国大会の時に言っていたが、演出というのは相当の専門職。中学校3年生の生徒さんが抜擢されていたが、難しすぎるかも知れない。その分竹内さんが動いて、構図を変えようと努力していたが、限界がある。ひとりが動いたとしても、残りの人が動かないのでは、どうしても構図が変わらない。「動き」をどう設計するか。そのヒントをいくつか書いておきたい。


 ひとつは机の配置である。長机5列で前向きにしてしまうと動けるものも動けなくなる。お互いの表情が見えにくいのではリアクションも取れない。円卓状に生徒机を配するとか、壁に沿って椅子や机を置くとか、動きやすい状況をつくることが必要である。


 そしてこれが最大のポイントであるが、セリフを発していない人達が、きちんとリアクションを取ることが大切である。リアクションにはいろいろな種類がある。表情がちょっとだけ緩む、といった程度のリアクションから、立ち上がったり歩き回ったり立ち止まったりするような大きなリアクションが取れる箇所もある。たとえば演劇部の人が、部費が安すぎるとクレームをつける場面では、他の部長たちは、やれやれ文句なんかつけるなよと思っている人もいるだろう。その人たちは、首を横に振ったり、嫌な顔をしたり、演劇部部長から目線を離したりする人もいるはずだ。そういう瞬間の唐突な変化をきっかけにして動けばいい。大きめのリアクションがあれば、それを契機にして動くことができる。今はセリフがないのだからと言って、ぼーっといたり、単にうんうんと聞いているだけの、最小限のリアクションではダメだ。演出は、そうした「動こうとする意志」を整理していけばいい。


 役者が気持ちで動こうとしないと、はじまらないし、構図も変わらない。できることなら、本読みの時から、どこでどう動こうか考えておくこと。この芝居の出来は、セリフのない場面で、セリフを発している人以外の人がどう演技をするかにかかっている。


 演技的な改善のポイントをふたつ。ひとつは目線である。観客の意識を舞台上の会話に集中させよう。お互いが向かい合ってのみ会話をするよりも、向かい合っての会話の途中で観客の方に目線を振り出して、観客と目線を交差させれば、その役者の心情は観客により理解されやすくなる。その後、相手役に目線を戻すと、あら不思議、観客はあなたに感情移入して舞台を見るのである。文章だとわかりにくいかもしれない。これは非常に基本的なテクニックであるが、意識的に使えている高校の演劇部は、実はそれほど多くない。


 もうひとつの改善点は「間」である。気持ちを入れる、リズムを変える、メリハリをつけるのに、間は不可欠である。まあ上演時間との兼ね合いで難しかったのかも知れないが…。オイラの学校で本作品を上演すると、1時間15分くらいになる。

 
 あと舞台プランの問題をひとつ。黒板が下手の隅というのは違和感がある。ラスト生徒会長が泣くという重要な場面があるのだから、中央とは言わないが、もう少し中寄りに配置するべきだろう。


 また、ラスト、予算計画書が一枚、少しだけ舞うシーンを省略して、予算計画書に単サスをあてるという演出で処理をしていた。予算については何も変わらなかったかも知れないが、それぞれの人たちの心がほんの少し化学変化を起こした、そんな気持ちの変化にこそ希望はあるのだという作者の意図を象徴しているのが、予算計画書の舞うラストだと思う。だからこそ台本指定があるのである。ぜひ予算計画書は舞ってほしかった。




6 土佐女子高「心にかんじる えたいのしれないものを ふかくふかく かみしめながら」作/竹内真穂・土佐女子中高演劇部


 生徒会長が「家出」して、文化祭の運営が行きづまりかけている生徒会。機に乗じて風紀委員会が生徒会から文化祭の主導権を奪おうとする。それをきっかけに聞こえる生徒会不協和音。そんななか、文化祭を成功させようとする生徒会副会長の苦悩を描く。


 演技について。はつらつとしている。達者な人も多い。エチュードを積み重ねて、土佐女子独特の独特のリズムとテンポを乗せて、生活感や華やいだ雰囲気を出している。メリハリは課題。間をもう少し計算するとよい。あと観客にセリフが伝わっているかどうか、役者が意識できればさらによくなる。他の学校のところでも触れたが、大きな声を出すのと伝わるセリフを発するのは、似ているようで違う。大切なのは、観客に伝えようと意志を持ってセリフを発することである。


 台本について。主体的にバリバリ動く生徒会という設定の方が、文化祭がうまくいかない切実感や焦りが増すのでは? この生徒会では、昨年までのノウハウが先輩から伝わっていないように見える。伝統ある生徒会なら、先輩がうまくやっていたりすると、後輩は結構なプレッシャーになったりするものだ。微妙な関係性や葛藤がより浮かび上がる。また生徒会活動が活発だということにすると、3000円の予算では少ない。30万くらいの額で学校を回しているという設定の方が、文化祭を取り仕切っているという感じになるのでは? 


 文化祭をめぐる生徒会VS風紀委員会の対立というのは、こうした構図は高校演劇ではよく描かれるが、図式的だし非現実的。持ち込み禁止とはいえ、他人の携帯を取り上げたりことさら騒ぎ立てたりする人たちが、一般の高校生から支持されるものだろうか? また風紀委員会が学校で文化祭の主導権を握ったとして、風紀委員会にメリットはあるのか? 対立や葛藤を作るときには、リアリティを考えよう。


 また、不在の人物をどれだけ魅力的に描けるかが鍵。カリスマ的な生徒会長と凡人である副部長を対照的に描けば、副会長の不安も浮かび上がる。皆があこがれる生徒会長を、自分だけのものにしておける恋愛感情にも似た優越感こそが「えたいのしれないもの」なのでは? とオイラは勝手に思った。土佐女子の芝居は、いつもタイトルが叙情的かつ印象的なのだが、もっと具体的かつ言葉に表しにくい「感情」が全編を通して浮かび上がってくれば、なおのことよかったと思う。


 舞台について。パネルをきちんと立てているのは好感がもてる。ドアのたてつけの悪さは残念。ドアはうまく作れない場合が多い大道具なので、よほど大工仕事に熟練している演劇部以外は、早目に作っておいた方がよいと思う。もし不十分な場合は、ドアを使わなくても舞台が成立するようなプランにしておきたい。あと、廊下が狭いので、少し動き辛そうだった。


 舞台プランについて。話し合いが行われる机が中央に置かれているが、イスが上下2×2=4脚前奥におかれているので、普通に座ると役者がかぶって奥の役者が見えない。奥に座る役者が椅子に上ったり工夫はしていたが、定位置についたとき、カブらないように座席配置を考えるべきだ。生徒会室は多数の人達の集まる場所なのだから、もっと椅子の数が多くても不自然じゃないし、机のまとまりも、一カ所だけでなくてもいいと思う。話し合いの最中でも、役者の立位置や座り位置を変化させて、構図を変えていくことで、対立関係などを明らかにさせることもできると思う。
 ラストの単サスのことは、山内先生も書かれると思うので割愛します。