小泉和子編著「洋裁の時代」OM出版/農文協


洋裁の時代―日本人の衣服革命 (百の知恵双書)

洋裁の時代―日本人の衣服革命 (百の知恵双書)


 6月3日のエントリーでも触れた、「昭和のくらし博物館」の小泉和子さんが、2000年3月〜2001年9月にかけて、同博物館にておこなった第2回企画展「洋裁の時代」の図録をもとに再構成したもの。国立民族学博物館特別展「今和次郎採集講義・・・・考現学の今」のミュージアムショップで見かけたので購入した。ちょうど「昭和の家事」のトークのため来館していた小泉和子さんには、サインをいただきました。


 「洋裁」に興味を持ったのは、今年80歳になる母が洋裁を内職としてやっていたから。母は昭和7年生まれ。結婚したての頃、父に借金があり、生活費を家に入れなかったので、母が洋裁で生活を支えていた。昔のアルバムの母の写真を見ると、母が自分で仕立てたと思われる洋服が写っていて、今見てもあか抜けていてモダンな感じがする。母の通ってきた時代を理解したい、そう思って本書を買ったのだった。


 博物館での展示が元になっているだけあって、図や写真が豊富で、洋裁のことを知らないオイラでも、興味を持って見ることができる。興味深かったのは、戦争に負けたから洋服が広まったとか、ただなんとなくアメリカ文化の影響であるとか、それだけでは十分説明したことにならない、という指摘だった。


 和服から洋服へ。「衣服革命」の出発点となったのは、なんと太平洋戦争だった。戦争中は和服が禁じられ、女性は活動的な上下に分かれた二部式の服装を強制された。家庭婦人はモンペの上下、女学生や勤労女性は白を掛けた上着にズボン。戦争が終わったあと、食べるためには女性も活動的に働かなければならなかった。皮肉にも戦争によって活動的な衣服の便利さを知った日本人は、和服に戻ることはできなかったのである。


 ところが戦後すぐの頃は、洋服などどこにも売っていない。作るしかなかった。ところが洋裁のできる人はわずかしかいなかった。そこで少しでも洋裁ができる人、ミシンを持っている人には注文が殺到した。女性の働き口というものもあまりなかった。専業主婦の仕事はすべて手仕事だったし、家族も多かったから、女が家を空けることができなかった。したがって家にいてできる洋裁は、願ってもない仕事だった。当時の女性のおかれていた状況に、洋裁という仕事はぴったりだったのである。とまあ、本書はそうした大きな流れにしたがって洋裁の隆盛期の様子を明らかにしていく。


 オイラが住んでいたのは、四国の山村だったから、昭和30年代後半から昭和40年くらいまで、多くの人が和服型の野良着を着て農作業をしていた記憶もある。本書は、そうした農村の洋服化にも詳しく述べている。本書を読むことで、祖母をはじめ、記憶の中の女性の服装が、オイラの中でくっきりとした輪郭を伴って浮かび上がってきた。


 オイラの母親がいつごろ職業としての洋裁を辞めたのかは思い出せない。洋裁が下火になっていった一番の理由は、昭和30年代から始まった既製服の普及である。時代は変化する。気づいたときには大きく変わっていることに気づく。変わってしまうと、その変化を当たり前のように受け入れ、前の時代のことは徐々に忘れられていく。オイラは生活文化のことを取り扱う地理の教員であるから、授業の中で昭和30〜40年代のことを高校生によく話すが、平成生まれの高校生にはまったくピンと来ていない。しかしオイラもまた、すぐ上の人たちが必死に生きた昭和20〜30年前半のことを知らなかったことを、本書を読むことで気づかされた。


 忘れ去られてしまいがちな生活文化に焦点をあてていこうという地道な作業を続けている小泉和子さんほかメンバーの方々に、心から敬意と感謝の念を贈りたい。