村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」文藝春秋社


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


 御存じベストセラー。勤務校の図書室で借りて読んだ。読みたいと思っている我が校の高校生も多いだろうから、できるだけ早めの返却を心がけなければならない。このブログレビューは手元に本があるうちに書くことになるので、「高知高校演劇祭」の感想をさしおいて書くことになってしまった。高知県の高校演劇関係者の皆さま、どうもすみません。


 構成といい設定といい、どこか「ノルウェイの森」を想起させる。癒しと回復の物語であるが、主人公を「色彩を持たない」「空っぽ」だと自分で規定している人間に設定したことで、寓話の現代性が際立ったと思う。そう、この国の人たちの多くは、「からっぽ」で「色彩を持たない」。そういえば、先日見た映画「桐島、部活辞めるってよ」にも、イケメンでスポーツ万能、カワイイ恋人のいる高校生が、自分が空っぽであることに気づき、涙を流すという印象的な場面があった。


 本書の主人公である多崎つくるは、自分が高校時代の友人から大学時代に拒絶された事件に向かい合い、自分の存在意義について考える。彼はずっと考え続ける。そして答えを出すために、ほんの少しだけ行動する。それが高校時代の友人3人との再会である。真相は少しだけ明らかにされるが、謎は謎のまま残る。不確定で宙ぶらりんな主人公の思索のあとをたどる小説である。


 キーワードはいろいろ周到に散りばめられている。とくに面白いと思ったのは、本作の舞台になっている「名古屋」である。透明感のあるカタカナ言葉のなかにまじると、土着的な「名古屋」という固有名詞の響きは、とても異質で、ローカリティを感じる。名古屋は、村上の言葉を借りると「うすらでかい地方都市」。「日本全国どこにでもあるような」「色彩がなくて」「顔のない」「からっぽな」街の典型なのだろう。