「パリよ、永遠に」


 普通の第2次大戦ものとは少し趣が違う。1944年8月、パリ陥落を前に、パリを破壊しようとするドイツ軍将軍と、それを阻止すべく説得するスウェーデン総領事の行き詰まる会話劇。主に将軍とスウェーデン総領事の間のやりとりで話が進行する。女性もほとんど出てこない、戦争や法律の話が中心の硬派な映画である。マーケティング主導で映画作りをする映画製作システムからは、絶対に出てこない手触りの作品である。


 原作は舞台劇で、場面のほとんどが、パリのホテルに間借りした独軍の司令官の部屋で進行される。それほど大きな予算の映画ではないのだろう。実際の第2次大戦の戦闘場面などは、ほとんど当時のモノクロのニュース映像で処理される。また、ホテルの部屋が主な舞台なので、パリのおかれている状況、将軍のおかれている状況が、セリフで説明されていく。ドラマの性格上、ヒトラーのことや戦争のことなど、天下国家が動いているサマまでが、登場人物ふたりの対話で明らかになる。


 おそらく原作の舞台劇がそうなのだろうが、対話が真面目に感じる。たとえば三谷光喜のような喜劇作家であれば、登場人物はもっとくだらないことを語るだろう。「パリよ、永遠に」では、総領事が将軍を説得する、そのやりとりに会話が絞り込まれ、かつ状況を説明する言葉が多く、映画としては過剰に「セリフで状況を説明している」ように思う。上映時間は83分。現代の映画としては短い。もう少し肉付けを施してもよかったのではないか。


 スウエーデン総領事は、パリを破壊しようとするドイツ軍の将軍をいろいろな手練手管で説得しようとする。まあパリが破壊されなかったことは観客は知っているので、ラストはどうなるのか、最初から推測できるし、実際その通りになる。最初からドイツの将軍は迷っていたし葛藤していた。爆破に関しては気が進まないという姿勢をとっていた。総領事は最後の一押しをしたに過ぎない。


 聖書から引用したり、歴史のエピソードを開陳して教養豊かに説得する。オイラには、ある意味とてものんびりとした交渉のように思えた。いささか大時代的な丁々発止の応酬も、本作の「クラシカルな感じ」に彩りを添えている。この感じ、オイラは決して嫌いではない。


 本作の監督は「ブリキの太鼓」のフォルカー・シュレンドルフ。オイラが観た映画館では、たまたまシュレンドルフの前作の「シャトーブリアンからの手紙」の予告編をやっていたが、こちらも占領下のフランスを舞台にした戦争批判色の濃い作品のようだった。映画作家のこだわりが作品から伺われる小品だと思う。