カラオケキッズ

 今は昔、1992年の徳島県大会で上演された、板野養護学校の「カラオケキッズ」という作品が忘れられない。板野養護学校の生徒たちが、市内のカラオケに行って、思いきり歌う。審査員は言った。「障害のある人たちがあれだけの舞台を創ることができるのだから、その集中力とけいこ量をもってすれば、健常者である演劇部の人たちは、もっと見ごたえのある舞台が創れたはずだ」でもそれは違う。「障害者でもできる」のではなくて、あの舞台は「彼らだからできた」のだ。


 芝居にかかわる「いわゆる健常者」が、もし個性も当事者性もなく、ただ世の中の流れに乗ることを強いられて、ぼんやりとした生き方を選択しているだけだとしたら、ましてや見当外れの稽古をしていたら、「見ごたえのある舞台」なんか創れるはずがない。


 表現は生き方を映し出す。当事者だけしか表現しえない、生きることの不合理や、言葉にならないもやもやした思いを、やむにやまれぬ衝動を、あれやこれやの手立てを使い、観客に対して投げかける。社会化されていないあなたのコトバは、受け止めてもらえない場合もあるかもしれないが、その切実さこそが人の心を動かすのだと信じるしかない。


 劇的な達成は、ほんらい個別的なものだ。かならずあなたのコトバに心を動かす人はいる、そう信じるからこそ、膨大な時間や稽古に人は耐えられるのだと思う。