勤務校の演劇部夏公演終わる



 8月24日は、オイラの勤務校の演劇部の夏公演。四国電力の施設であるヨンデンプラザ徳島3Fホールでの上演だった。四国電力の「でんき予報」で使用電力が97%を超えると「閉館になります」とホール側から説明を受けたのは昨年どおり。もし公演が中止になったらどうしようとヤキモキしたが、折からの猛暑というのにマスコミは電力不足をまったく喧伝せず、実際に使用電力にはかなりの余裕があり、無事に上演を行うことができた。では昨年の「電力が足りない」の大合唱はなんだったのだろう?


 この公演は、オイラの勤務校の演劇部一年生のお披露目公演。一年生4人のうち3人がキャスト、2年生一人は裏に回って演出である。四月には演劇の「え」も知らなかった一年生3人で、なんと80分喋りっぱなしで舞台を回した。初めての単独公演であり、内容はかなり背伸びの必要な大人の芝居、セリフ量も段取りも結構多く、これはちょっとすごいことだと自負している。


 一年生主体であるから、もちろん内容的にも注文をつけようと思えばいろいろある。芝居の仕上がりも、オイラの主観では「途中経過」という印象。芝居の輪郭がくっきりと立ちあがるレベルではなかった。台本をもう少し読み込む時間があったらとは思ったが、それはないものねだり。


 「途中経過」なのは、ある意味想定内でもある。他校はどうしているかは知らないが、オイラの勤務校の演劇部の今年度の指導は、ニュートラルでリラックスした身体を作ることを優先した。板についてくるまでは、極端な色つけはしないし、演出も役者の身体からの発想を元にオーソドックスな線で行くのが基本。あくまで役者の持つコンテンツを優先する。それは、役者として見せるに足るコンテンツを見出すための必要なプロセスだと思う。ちょうど仏師が木の中の仏を彫り出すように。つくろう指導、ごまかす演出はありえない。


 今回の収穫は、瞬間の判断にすぐれリーダーシップを発揮できるAに加え、不器用だが高いクオリティで集中の持続ができるB、一見大人しそうな雰囲気の中に狂気と衝動を秘めた安藤サクラ風の図太い演技を見せるCというコンテンツが確認できたこと。11月の県大会では、これらを生かせる芝居の枠組みを用意して、見ごたえのある作品を創りあげることができたらと考えている。


 観客の皆さまへ。貴重なお休みの一日、またお忙しい中、会場へ足をお運びいただきましてありがとうございました。観客がいないと芝居は成立しません。また遠くから気をかけていただいた多くの方も含め、本当に多くの方のご厚意で支えられているのだということを実感しています。


 部員たちへ。「表現」とは、独創的であろうとする「意思」です。他の人の表現をなぞり、誰かが言っているようなことを喋り、手垢のついた表現で小手先でごまかそうとしてはいけません。あなた自身が個性的であり、知的であり、感性豊かであり、人間的にも厚みのある人間になれば、おのずと表現は磨かれます。人に対する思いやりを忘れず、24時間演劇のことを考え、できるだけ古今の本や映画に接し、その実感をコトバにするトレーニングをしてください。そういう人に、演劇の神様は、ほほえみかけてくれるとオイラは思います。