「読書という体験、そして勉強」

 
勤務校の「Library News 2020年3月号(310号)」に寄せた一文。高校生向け。「読書で得られるものって、かけがえのないものだよ」という内容。いつも自分はリベラルアーツの側に立ちたいと思っています。
 
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   読書という体験、そして勉強
 
 
 「読書は体験である」
 ということを、和歌山大学の天野雅郎先生という方が書かれているのを読んで、うまいこと言うなあ、と思ったのでした。※1
 じっくり本の世界に入り込み、心の深いところで登場人物や著者、そして自分と向かい合えば、身体を通した経験にも劣らない感銘が得られます。一冊の本との出会いが、ときには人生を変えることがあったりする、それが読書の力です。
 「勉強」はどうでしょうか。勉強を「いい点を取る」「いい大学に入る」ための手段と見なす空気、昔から根強く感じます。学びは道具的なものじゃないのだけれど、社会の選別や序列化の圧力が強すぎて、皆が「テスト対策=勉強」という場所に急かされ追い込まれているように思えます。
 そのせいもあるのでしょうが、学びを「味わうもの」ととらえてない人が多いような気がします。「効率的にやりたい」「無駄なことはしたくない」っていう感じが何となく先に立って、ひとつの事をじっくりと立ち止まって深く考えるという習慣が失われがちにも見えます。こんなふうに矮小化された「勉強」なら、「豊かな体験」と言うには、ちょっと違うよなあと思うのですね。
 「読書」もまた、何かの目的があってなされることも多いのだけれど、心の深いところをいったんくぐらせるからか、思考が深くなり、感銘は忘れ難いものになることも多いのだと思います。
 深い思考をする習慣をつけると、世界が見えてきます。この世界は多面的で複雑です。教師の言葉や、教科書に書いてあること、エライ人の言うことだって正しいとは限らないのです。知れば知るほど、何が正しいか分からず、あなたは途方に暮れて立ちすくむこともあるかも知れない、そんなとき、一冊の本が、あなたのアタマを解きほぐしてくれる助けになるかもしれません。
 休校も長くなって、いよいよ春休みです。ぜひ図書館で本を借りて読み、世界と向かい合い、いろいろなことを深く考えてほしいと思います。
 
     ※1 天野雅郎「読書という体験 ――「教養」の来た道(11)」
          http://www.wakayama-u.ac.jp/kyoyonomori/message/-11.php

学力テストの朝

 学力テストの日の朝、教師っぽい説話をする。その採録。今年度は「今日は何の日」みたいな感じのことをよく話している。

 「~するな」という感じだと、抑圧的になる。教員も35年以上やってると、そういう感じにも飽き飽きしている。

 地理の授業では、恵方巻の廃棄の話。食品ロスの話もしました。

 

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 今日(2月4日)は立春です。立春二十四節気のひとつで、12月21日頃の冬至と、3月21日頃の春分の、ちょうど中間点にあたります。暦のうえでは、春のはじまりですね。

 昨日(2月3日)は節分でした。季節の分かれ目という意味ですね。

 季節の変わり目には邪気(邪鬼)が生じるそうです。だから、その節分には、豆を撒いて「鬼は外」と邪鬼をはらうのですね。

 今日はテストですが、カンニングなど、誰一人として「魔がさす」ことのないよう、願っています。終わり。

勇気を持ちなさい

 クラス通信、生徒に対して書いた文章です。

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 勇気を持ちなさい

 

 「学校」の元々の意味を、皆さんは知っていますか?
 ギリシャ語の「schore(スコレー)」という言葉に由来しているそうです。このスコレー、実はギリシャ語では「ヒマ」という意味なのですね。
 ヒマがあるからこそ、物事を深くつきつめて考えることができる。うらやましいことに、ヨーロッパの高校では、授業に空き時間があったり、夏休みの宿題がなかったりと、個人の時間的余裕が確保されているところが多いです。
 日本の学校には「ヒマ」がありません。やれ宿題だ受験だ行事だと、諸事に追い立てられている。上意下達、効率優先が当たり前になって、物事を根本的に考える習慣が失われて、知性が十分に働きにくい場になっています。
 私たちは、山積する矛盾や不合理に対し、忙しさを言い訳にして見て見ぬフリをすることがあります。利己的にふるまってしまったり「関係がない」「どうせ言っても無駄だから」「損だから」「大人になれ」といったあきらめに似た空気に流されることもあります。
 どうやら私たちは、忙しさにかまけて、根本的で重要なことを見失っているようです。それは、私たちの周りを私たちの手でよくしていこうという気概、つまり「勇気を持つこと(by内田樹)」ですね。
 哲学者である内田樹は「国語教育について」というエッセイでこう書いています。「文科省や教員が子供たちに語って聞かせているのは、いつでも「怯えろ」「怖がれ」ということです。学力がないと社会的に低く格付けされ、人に侮られ、たいへん不幸な人生を送ることになる。それがいやなら勉強しろ…というタイプの恫喝の構文でずっと学習を動機づけようとしてきました」(1)。
 知性のはたらきを高めることが目的のはずの学校が、知性のはたらきを封じ込めるように機能している、何となく感じていながら言語化しにくいそのことを、内田樹の文章は、とても鋭く指摘していて、読んではっとしました。
 「やめておけ」「できるわけがない」…私たちの耳元でささやかれるそんな声が、本当に正しいのか、私たちは根源から考えることから始めなければなりません。
 そして心の声にしたがって、あなたは、あなたが正しいと思うことをなす勇気を持ちましょう。それが、あなたが本当になりたい人になるための一歩となるのだと、私は信じています。(2020年2月3日)

 

 (1)「国語教育について」内田樹の研究室
   http://blog.tatsuru.com/2020/01/06_1024.html

 

いっぱいいっぱいのカタチ

 2008年5月に書いた拙文。城北高演劇部の牟岐公演を観て、この文章のことを思い出したので再録します。高校生のありようは、ひと昔前と変わってないですね。

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 いっぱいいっぱいのカタチ

 僕は、高校の演劇部の顧問をやるかたわら、大学生や社会人といっしょに演劇を作ってきた。そのうちのひとりと、「高校生の演劇とオトナの演劇の違い」について話をしたのだが、そこでの会話で、なぜか印象に残ったフレーズがあった。
 「高校生の演劇は、いつも、いっぱいいっぱいだよね」
 「いっぱいいっぱい」というのは、「いつも自分の能力ぎりぎりのところで芝居に取り組んでいる」という意味だ。日々の城北演劇部でも、目につくのは、不器用で、未熟で、段取りをこなしきれず、アップアップしているメンバーの姿だ。もちろん失敗も多い。オトナの演劇と比べると、技術的な面では、天と地ほどの開きがある。

 ただ、そうした、打算なしに瞬間瞬間を生きる高校生のひたむきさや正直さこそが、人の心を強く動かすこともまた確かなのだ。自戒の意味をこめていうと、大人になるにつれ、どこかに余裕が出たり、「これくらいでいいだろう」という気持ちが出やすくなる。オトナであっても、かつてはひたむきに生きてきた時間があったはずのに。

 5月25日、城北高校演劇部は、トミニシ演劇部で1997年4月に上演した芝居の再演を、ヨンデンプラザ徳島で行う。この芝居は、廃部寸前の演劇部を題材に、せっぱつまった高校生たちの「気分」と「気持ち」をたっぷり詰めこんだ作品である。城北高校演劇部では、テクニックや小手先の芸ではなく、台本が本来持っている「まっすぐさ」「ひたむきさ」を損なわないことに気をつけて、芝居作りに取り組んだつもりだ。それがうまくいっているかどうか、皆さんには、ぜひ生の舞台で確認していただきたいと思う。

 高校生には高校生にしかできない表現のカタチがある。そこに、彼らの生きる真実の姿が凝縮されていれば理想的だろう。
 不器用な部員たちは、4カ月間、この芝居に取り組んできた。どうか「まっすぐさ」や「ひたむきさ」が、いいカタチで観客の皆さんに伝わりますように。心に残る一期一会になりますように。
 もちろん、出来は「神のみぞ知る」だ。だが、僕は、そうした「カタチ」が、舞台の上で再現されることを、実は強く強く確信してやまないのだ。なぜなら、彼らは「いっぱいいっぱい」だからだ。彼らは、不完全だからこそ完璧なのだ。それを先人は「青春」と言ったのだ。
 僕は、今回、あきれるほど楽観的な気分で、開幕を待っている。
(2008年5月)

 「シラタマモの夢 さんごのうた」

 19日、牟岐町海の総合文化センターにおいて、城北高演劇部による「シラタマモの夢 サンゴのうた」最終公演を観劇した。城北高の人たちが演じる「牟岐町の人々」は、ネイティブの方々に受け入れられるのか、観る前はいささか不安があった。だが200人を超える地元の人々に来ていただいて、懐かしくも温かい雰囲気のなか、城北高の皆さんも伸び伸びと演技に集中できて幸せな時間になった。

 

 台本には地元おなじみの牟岐町の固有名詞やデティールが散りばめられていて、それが本公演では起爆剤となった。県大会のときとは全く違った反応。婦人会の方も空気を作ってくれた。孫子を見守るように「○○にソックリやなあ」という感じだった。カーテンコールでは、自分の気持ちを言葉にしようとして、感極まって泣いてしまった部長に対し、もらい泣きまでして応えてくださった。それに対して「お礼のことば」を最後まできちんと言い切った演劇部の部長もよくがんばったと思う。

 

 城北高演劇部の公演のあとは婦人会の芸能大会になった。演歌のカラオケが聞こえてくるなか、そんなこんなでオイラはちょっといい余韻にひたることができた。

 

 地元の人のコメントが徳島新聞に載った。「(城北の人たちが)町の魅力を新鮮な感覚で受け止めてくれた」これに対し城北の人たちは「温かい地元の人たちが、自分たちを受け止めてくれた」と感じることができた。双方向的な「やわらかい交流」が演者と観客の間に成立していた。これって理想的な演劇による交流のありようなんじゃないか、なんてことを考えた。

 

 コンクールに合わせて芝居作りをしている間に、「うまい」「へた」にとらわれて、私たちがいつの間にか忘れ去ってしまった芝居や生活の根本を感じた。高校演劇の大先輩である浅香寿穂先生(牟岐町出身)が「徳島の人の芝居に対する希求の強さっていうのは、もともと人形浄瑠璃が浸透していた点にあったと思います」とおっしゃったのを思い出した。

 

 かつて演劇が地域の娯楽として、生活や地域に密着していた時代があった。芝居は一部の人のファッションでなく、ニッチな愛玩物でもなく、中央へ上っていくための選別装置でもなかった。芝居は生活と分けがたく、ハレの行事として労働や家族や地域とともにあった。芸能に携わったのは「まれびと」である外部からの来訪者だった。城北高演劇部の皆さんは、単なる外部者ではなく、かつてからそうであったように、「まれびと」として迎えられたのだ。このことに、牟岐という地域の歴史と、営々と続いてきた農耕と芸能文化の懐の深さ、重層性を強く強く感じたのだった。

 

 もちろん城北高演劇部の生徒や先生のひたむきな取り組み、そして何よりも、本作の作者である元木理恵という「語り部」を得たこと、これらが正の相乗効果になって「シラタマモの夢 さんごのうた」が成立したことを忘れてはならない。

   牟岐を舞台にした芝居が、牟岐でフィナーレを迎え、収まるべきところへ収まった。これを大団円と言わず何と言おう。(2020年1月19日)

 

 

地理教育における「批判的思考力」の育成


            徳島県立城東高等学校 古田 彰信

 

 二宮書店「地理月報/No.556」(2019.10.25発行)に掲載された拙稿「地理教育における「批判的思考力」の育成」をUPしました。中立性に配慮しながらも「教師として実践しなければならないことは断固やる」という、今のフルタのスタンスと教育実践の片鱗を書き記したものです。
 堅めの地理教育関係者向けの原稿ですが、よろしければどうぞ。

 

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1 必要とされる「批判的思考」

 批判的思考(クリティカル・シンキング)とは、情報を吟味し、鵜呑みにせず、物事の前提から疑い、より論理的に最適解にたどり着こうとする思考方法である。常識や当たり前とされている価値を積極的に疑ったり、自分自身の推論や認識について深く内省したりすることで、社会や自己のありかたなどを複眼的に問い直そうとするものである。
 欧米では、批判的思考のスキルが初等教育段階からよく導入されているのに対し、日本の中等教育では、概念そのものからしてまだまだ一般化していないように見える。
 自立した「個」の育成をないがしろにして、大人が一面的な価値の押しつけを強めれば、文科省のいう「主体的」かつ「対話的で」「深い学び」は有名無実になる。上から与えられた命題や価値に疑問を抱かず、黙って権威に従う風潮が広がれば、対話は痩せたものにしかならない。
 「主体的」「対話的で」「深い学び」を実現するのなら、批判的思考は欠かせないスキルである。本稿では、地理Bという科目の中で、批判的思考の育成についての手掛かりがどこにあるのかを考えてみたい。

 

2 「何でも言える」雰囲気をつくる

 最低限必要なのは、自由に対話や議論ができる空間である。「なんでも言える」クラスをめざすなら、少人数クラスの方がいい。少人数クラスなら、特別にアクティブ・ラーニングを企まなくても、学びがアクティブになりやすい。寄せた机の回りに集まれる位が、本当はちょうどいい。
 「脱線」は歓迎である。脱線はかけがえのない瞬間である。自由に話が飛躍するから、思わぬ他教科・他科目との関連が意識されたり、高校生の深いウンチクが授業中に披露されることもある。
 「眠い」と言う意見表明も受け入れる。「なぜ高校生はこれほど多忙なのか」は、現状認識のベースになる。どうしても眠くて、生理的に限界だという生徒には、アメを配ったりする。
 「どう思う?」と常に問いかける。分からなければ授業中にスマホなどで調べる、高校生同士で教え合う……。そうした活動によって、素朴な疑問を抵抗なく口にできる関係や雰囲気を積み上げ、そこに「常識」や「当たり前」を揺さぶる教材を投げかける。たまたま条件がうまく合うと、授業中の活発な意見交換が可能になる。

 

3 「常識」や「当たり前」を揺さぶる教材

 (A)正距方位図法で描かれた「二つの地図」

図1 

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  図1は、授業でよく取り上げられる「東京を中心とした正距方位図法」の地図である。正距方位図法では、中心からの距離と方位が正しく表わされる。東京からみると、ブエノスアイレスは真東にあることが読み取れる。
 問題は、東京中心の地図を「日本を中心にした」と紹介している場合である。東京は日本の首都なので「日本を中心にした」という定義も間違いとは言えないが、東京中心の地図を標準とすることで、他の地域から世界を見た視点を切り捨てていることも確かである。

図2

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  図2は、「那覇を中心とした正距方位図法」の地図である。那覇から観たブエノスアイレスの方位は南南東である(1)。陸地の位置も、東京から見た図とは大きく違い、南アメリカ大陸は海を取り囲むように描かれる。また、図2の中心部を拡大し、那覇からの東京を含む東アジア諸都市との距離等を比較することで、沖縄から見た周辺諸国の位置関係を理解することができる。
 私たちは、知らず知らずのうちに、東京中心の世界観で世界を見てしまいがちである。日本列島は南北に長く、視点をずらせば、世界の見え方は大きく変わる。高校地理で取り上げられている内容を、沖縄が抱える課題と関連づけて学習する際に、これらの地図を活用し、沖縄の人々の視点に寄り添うことは有効であると思う。

(B)多様な価値観に気づかせることのできるエッセイ

 もうひとつ、先進国の「少子高齢化の取り組み」で使用した教材例をあげておく。使用したのは、デンマーク人の幸福観について書かれたエッセイである(2)。
 この中に「幸福度ランキング世界一」(国連SDSN「世界幸福度報告」による)であるデンマークの人々の価値観を浮かび上がらせる印象的な言葉がある。次のような言葉だ。

 

 「最高という言葉は、勝者と敗者を作ってしまうので問題ではないかと思う」「ベストという言葉は好きじゃない。ストレスだもの。十分という言葉が好き。最高になんかなりたくない」

 

 彼らは最高を目指さない。自分を特別な存在だと見なさずに、平等を尊び、自分のペースで生きる。
 このエッセイを紹介したとき、一人の高校生が、しばし言葉を失って、打ちのめされたように深い息をついたのが印象的だった。それは彼女が競争社会という我々の価値をはじめて疑い、幸せとは何かを深く考えた瞬間だったと、私は理解した。
 日本の進学校の高校生は、偏差値による選別体制の中「ベストを尽くせ」と尻を叩かれて勉強する(させられる)。少しでも上の成績をあげ、偏差値の高い大学に行くことが善である、という価値観の中に生きている。
 以前、余暇活動(観光)を学習した時に、時間的に余裕のあるフランスの高校の様子を紹介したことがある。フランスの高校では、2ケ月の夏期休暇があり、夏休み宿題もなく、授業の空き時間もある。思えばこれが伏線だった。受験という競争社会の中では、、常に急かされ、人生の問題について、立ち止まってじっくり考えられる時間が少ない。そんな高校生の苦悩がため息に込められていた。
 私たちは、一般化された「常識」を、「絶対的なもの」「当たり前」と見なして疑うことをしない。ところが何かのきっかけで、別の価値観に触れることで、今の自分や社会のありようを客観視して、社会の問題点をも深く認識し始めるようになる。これが批判的思考を磨くということであり、地理の授業にも、そうした力があることを実感した。

 

4 最近の授業から

 最後に、授業の様子を紹介しよう。地理B教科書の「現代世界の国家」で、1997年の香港返還のことが取り上げられている。そこで「返還に際し、香港の人々は、どんな不安を抱いただろうか」という発問をした。高校生たちは教師の意図に沿って答えた。
 そんななか、今年(2019年)の香港デモを連想したと思われる一人の高校生から「香港のデモの原因は何ですか」という質問が出た。
 脱線から話を広げるのが私の授業の原則である。デモの直接の引き金になった「逃亡犯条例」について話す。すると、同じ高校生がもうひとつ質問を重ねた。「デモをして回りの人に迷惑になったりしないんですか」
 おそらく無意識に使っている「迷惑」という言葉に、デモの意義を矮小化している、そのことが気になったので、「フランス革命は迷惑だったのか?」という問いかけや、香港が植民地になった歴史的背景などをさらに説明する。説明しているうちに、さらに連想が進んだのか、「なぜ韓国と日本は仲が悪くなっているんですか」という質問が出た。
 はっきり言って広がりすぎだが、せっかくの機会を切り捨てることはしない。中立性に配慮しながら、朝鮮半島の政治情勢や、領土問題の伏線にもなるように、歴史的な背景や従軍慰安婦問題、徴用工訴訟問題、嫌韓報道の問題点について、事実関係を整理して話す。高校生は基本「知らない」ことなので、かなりの時間がかかる。誤解されないようにと神経をつかう。
 「今」とリンクすることにより授業の厚みが増す。教師主導の展開であれば、日韓問題が授業にあがってくることはなかっただろう。高校生からは、現実の複雑さに戸惑い、当惑しながらも、客観的に事態を把握しようとする誠実な態度を垣間見ることができた。(了)

 

 

(1)この部分は、中川龍太「地図についてのよくある勘違い・・・正距方位図法による世界地図」https://blog.goo.ne.jp/marneyoze/e/713de4e30fed75c2d32e29a924024abdによりすでに指摘されており(2019.9.1確認)、そこから触発された授業実践を記したものである。
(2)大本綾「デンマーク人は本当に幸せなのか? 住んでわかった「幸福感」の違い」https://diamond.jp/articles/-/32485(2019.9.1確認)

 本稿の図1・図2とも、二宮書店「地理月報No.556」(2019年10月25日号)掲載時に、編集部で作成していただいたものを引用しました。

 

四国高校演劇祭20周年にむけて

 ひとつではなかった
               古田 彰信

 20周年おめでとうございます。四国高校演劇祭は、最初は古田の働きかけによって始まりましたが、四国四県、とくに愛媛の皆さん、その中でも何よりも川之江四国中央市)の方々の熱心な取り組みによって支えられてきた20年でありました。熱意ある多くの方々の取り組みに、深く敬意を表する次第です。
 20年前、四国ブロックは、四国大会を別にすれば、四県の交流はほとんどありませんでした。もともと四県は山脈を背中合わせにちがう方向を向いています。歴史的にみても、四国同士の交流より、愛媛は広島、香川は岡山、徳島は関西、そして高知は東京などとの交流の方がさかんでした。高校演劇においても、それぞれの県が独自の発展をとげてきた歴史がありました。
 20年前、古田は四国高校演劇協議会の事務局長をしていました。今も忘れられないのは、全国高校演劇協議会の、常任理事会後の酒席で、当時の全国事務局のメンバーからこんなことを言われたのです。
 「テコ入れしてやろうか?」
 要するに、四国ブロックはレベルが低いから、全国事務局のメンバーを審査員として呼べ、指導してやるぞ、という意味でした。丁寧にお断りしました。ただ交流の機会が少なすぎることは確かで、刺激になる機会がもう少しあれば、現場は自然と活性化するだろう。表現に対する焦がれるような思いはすでにあるのだから。そう考えて「全国大会前の壮行公演と四県代表校の公演の場を設ける」ことを主眼として四国高校演劇祭を企画したのでした。会場をどこにするか考えている過程で、川之江高の横川先生から川之江の宇高さんを紹介してもらいました。宇高さんは、川之江紙まつりとタイアップする方法を提案してくれました。2000年のことです。
 この年3月、徳島からの高速道路は川之江まで伸び、高知道松山道高松道と接続して、四県を結ぶX字のハイウェイが完成しました。その中心に位置していたのは川之江でした。「交流」という名前にふさわしい、何と象徴的な場所でしょう。そしてその場所には演劇文化が根付き、演劇を大切に思う人たちがいて、自由に使える会場がある。これを奇跡と言わずして、何を奇跡というのでしょうか。
 そして、交流が始まりました。2000年と言えば川之江高「ホット・チョコレート」の年。2001年の「七人の部長」と並んで、2年連続全国大会最優秀。その後全国大会最優秀を受賞した丸亀高も、この場所で壮行公演をおこないました。この20年の四国ブロックの充実ぶりは、この20年の四国高校演劇祭の歴史と無関係ではありません。今までに上演された100本に迫る作品群。演劇祭で上演される作品を観劇し、刺激を受け、それぞれの学校に持ち帰って、さらに自校の作品として結実させてきた一人ひとりが、四国の高校演劇の豊穣の一端を担ってきたのだと思います。もう「テコ入れしてやろうか」という人はいないと思います。
 四国ブロックの加盟校の少なさはよく話題にあがりますが、四国ブロックの狭さはあまり話にあがりません。小さいことは交流しやすいということで、実は大きなメリットだと思います。その芯に近いところに川之江があったのが、四国にとってはこのうえない僥倖であったと思います。
 そしてもうひとつ。重要なことは、交流が盛んになっても、今でも四県は、それぞれ別の方向を向いているということです。実はこれが四国の最大のメリットだと思います。四国はひとつではありません。狭いうえに多様なのが四国です。もっと言えば、高校演劇に関わる人の数だけ演劇の形はあって、四国高校演劇祭は、12月の四国大会とともに、そのことを確認する場として、20年間、ここにあり続けたのだと思います。 
 今回最後となる四国中央市民会館川之江会館は、その象徴でした。そういえば前の天皇も、先日退位したのですね。お疲れさまと言いたいです。いろいろありがとうございました。
                       (元四国高校演劇協議会事務局長)