勇気を持ちなさい

 クラス通信、生徒に対して書いた文章です。

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 勇気を持ちなさい

 

 「学校」の元々の意味を、皆さんは知っていますか?
 ギリシャ語の「schore(スコレー)」という言葉に由来しているそうです。このスコレー、実はギリシャ語では「ヒマ」という意味なのですね。
 ヒマがあるからこそ、物事を深くつきつめて考えることができる。うらやましいことに、ヨーロッパの高校では、授業に空き時間があったり、夏休みの宿題がなかったりと、個人の時間的余裕が確保されているところが多いです。
 日本の学校には「ヒマ」がありません。やれ宿題だ受験だ行事だと、諸事に追い立てられている。上意下達、効率優先が当たり前になって、物事を根本的に考える習慣が失われて、知性が十分に働きにくい場になっています。
 私たちは、山積する矛盾や不合理に対し、忙しさを言い訳にして見て見ぬフリをすることがあります。利己的にふるまってしまったり「関係がない」「どうせ言っても無駄だから」「損だから」「大人になれ」といったあきらめに似た空気に流されることもあります。
 どうやら私たちは、忙しさにかまけて、根本的で重要なことを見失っているようです。それは、私たちの周りを私たちの手でよくしていこうという気概、つまり「勇気を持つこと(by内田樹)」ですね。
 哲学者である内田樹は「国語教育について」というエッセイでこう書いています。「文科省や教員が子供たちに語って聞かせているのは、いつでも「怯えろ」「怖がれ」ということです。学力がないと社会的に低く格付けされ、人に侮られ、たいへん不幸な人生を送ることになる。それがいやなら勉強しろ…というタイプの恫喝の構文でずっと学習を動機づけようとしてきました」(1)。
 知性のはたらきを高めることが目的のはずの学校が、知性のはたらきを封じ込めるように機能している、何となく感じていながら言語化しにくいそのことを、内田樹の文章は、とても鋭く指摘していて、読んではっとしました。
 「やめておけ」「できるわけがない」…私たちの耳元でささやかれるそんな声が、本当に正しいのか、私たちは根源から考えることから始めなければなりません。
 そして心の声にしたがって、あなたは、あなたが正しいと思うことをなす勇気を持ちましょう。それが、あなたが本当になりたい人になるための一歩となるのだと、私は信じています。(2020年2月3日)

 

 (1)「国語教育について」内田樹の研究室
   http://blog.tatsuru.com/2020/01/06_1024.html