地理教育における「批判的思考力」の育成


            徳島県立城東高等学校 古田 彰信

 

 二宮書店「地理月報/No.556」(2019.10.25発行)に掲載された拙稿「地理教育における「批判的思考力」の育成」をUPしました。中立性に配慮しながらも「教師として実践しなければならないことは断固やる」という、今のフルタのスタンスと教育実践の片鱗を書き記したものです。
 堅めの地理教育関係者向けの原稿ですが、よろしければどうぞ。

 

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1 必要とされる「批判的思考」

 批判的思考(クリティカル・シンキング)とは、情報を吟味し、鵜呑みにせず、物事の前提から疑い、より論理的に最適解にたどり着こうとする思考方法である。常識や当たり前とされている価値を積極的に疑ったり、自分自身の推論や認識について深く内省したりすることで、社会や自己のありかたなどを複眼的に問い直そうとするものである。
 欧米では、批判的思考のスキルが初等教育段階からよく導入されているのに対し、日本の中等教育では、概念そのものからしてまだまだ一般化していないように見える。
 自立した「個」の育成をないがしろにして、大人が一面的な価値の押しつけを強めれば、文科省のいう「主体的」かつ「対話的で」「深い学び」は有名無実になる。上から与えられた命題や価値に疑問を抱かず、黙って権威に従う風潮が広がれば、対話は痩せたものにしかならない。
 「主体的」「対話的で」「深い学び」を実現するのなら、批判的思考は欠かせないスキルである。本稿では、地理Bという科目の中で、批判的思考の育成についての手掛かりがどこにあるのかを考えてみたい。

 

2 「何でも言える」雰囲気をつくる

 最低限必要なのは、自由に対話や議論ができる空間である。「なんでも言える」クラスをめざすなら、少人数クラスの方がいい。少人数クラスなら、特別にアクティブ・ラーニングを企まなくても、学びがアクティブになりやすい。寄せた机の回りに集まれる位が、本当はちょうどいい。
 「脱線」は歓迎である。脱線はかけがえのない瞬間である。自由に話が飛躍するから、思わぬ他教科・他科目との関連が意識されたり、高校生の深いウンチクが授業中に披露されることもある。
 「眠い」と言う意見表明も受け入れる。「なぜ高校生はこれほど多忙なのか」は、現状認識のベースになる。どうしても眠くて、生理的に限界だという生徒には、アメを配ったりする。
 「どう思う?」と常に問いかける。分からなければ授業中にスマホなどで調べる、高校生同士で教え合う……。そうした活動によって、素朴な疑問を抵抗なく口にできる関係や雰囲気を積み上げ、そこに「常識」や「当たり前」を揺さぶる教材を投げかける。たまたま条件がうまく合うと、授業中の活発な意見交換が可能になる。

 

3 「常識」や「当たり前」を揺さぶる教材

 (A)正距方位図法で描かれた「二つの地図」

図1 

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  図1は、授業でよく取り上げられる「東京を中心とした正距方位図法」の地図である。正距方位図法では、中心からの距離と方位が正しく表わされる。東京からみると、ブエノスアイレスは真東にあることが読み取れる。
 問題は、東京中心の地図を「日本を中心にした」と紹介している場合である。東京は日本の首都なので「日本を中心にした」という定義も間違いとは言えないが、東京中心の地図を標準とすることで、他の地域から世界を見た視点を切り捨てていることも確かである。

図2

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  図2は、「那覇を中心とした正距方位図法」の地図である。那覇から観たブエノスアイレスの方位は南南東である(1)。陸地の位置も、東京から見た図とは大きく違い、南アメリカ大陸は海を取り囲むように描かれる。また、図2の中心部を拡大し、那覇からの東京を含む東アジア諸都市との距離等を比較することで、沖縄から見た周辺諸国の位置関係を理解することができる。
 私たちは、知らず知らずのうちに、東京中心の世界観で世界を見てしまいがちである。日本列島は南北に長く、視点をずらせば、世界の見え方は大きく変わる。高校地理で取り上げられている内容を、沖縄が抱える課題と関連づけて学習する際に、これらの地図を活用し、沖縄の人々の視点に寄り添うことは有効であると思う。

(B)多様な価値観に気づかせることのできるエッセイ

 もうひとつ、先進国の「少子高齢化の取り組み」で使用した教材例をあげておく。使用したのは、デンマーク人の幸福観について書かれたエッセイである(2)。
 この中に「幸福度ランキング世界一」(国連SDSN「世界幸福度報告」による)であるデンマークの人々の価値観を浮かび上がらせる印象的な言葉がある。次のような言葉だ。

 

 「最高という言葉は、勝者と敗者を作ってしまうので問題ではないかと思う」「ベストという言葉は好きじゃない。ストレスだもの。十分という言葉が好き。最高になんかなりたくない」

 

 彼らは最高を目指さない。自分を特別な存在だと見なさずに、平等を尊び、自分のペースで生きる。
 このエッセイを紹介したとき、一人の高校生が、しばし言葉を失って、打ちのめされたように深い息をついたのが印象的だった。それは彼女が競争社会という我々の価値をはじめて疑い、幸せとは何かを深く考えた瞬間だったと、私は理解した。
 日本の進学校の高校生は、偏差値による選別体制の中「ベストを尽くせ」と尻を叩かれて勉強する(させられる)。少しでも上の成績をあげ、偏差値の高い大学に行くことが善である、という価値観の中に生きている。
 以前、余暇活動(観光)を学習した時に、時間的に余裕のあるフランスの高校の様子を紹介したことがある。フランスの高校では、2ケ月の夏期休暇があり、夏休み宿題もなく、授業の空き時間もある。思えばこれが伏線だった。受験という競争社会の中では、、常に急かされ、人生の問題について、立ち止まってじっくり考えられる時間が少ない。そんな高校生の苦悩がため息に込められていた。
 私たちは、一般化された「常識」を、「絶対的なもの」「当たり前」と見なして疑うことをしない。ところが何かのきっかけで、別の価値観に触れることで、今の自分や社会のありようを客観視して、社会の問題点をも深く認識し始めるようになる。これが批判的思考を磨くということであり、地理の授業にも、そうした力があることを実感した。

 

4 最近の授業から

 最後に、授業の様子を紹介しよう。地理B教科書の「現代世界の国家」で、1997年の香港返還のことが取り上げられている。そこで「返還に際し、香港の人々は、どんな不安を抱いただろうか」という発問をした。高校生たちは教師の意図に沿って答えた。
 そんななか、今年(2019年)の香港デモを連想したと思われる一人の高校生から「香港のデモの原因は何ですか」という質問が出た。
 脱線から話を広げるのが私の授業の原則である。デモの直接の引き金になった「逃亡犯条例」について話す。すると、同じ高校生がもうひとつ質問を重ねた。「デモをして回りの人に迷惑になったりしないんですか」
 おそらく無意識に使っている「迷惑」という言葉に、デモの意義を矮小化している、そのことが気になったので、「フランス革命は迷惑だったのか?」という問いかけや、香港が植民地になった歴史的背景などをさらに説明する。説明しているうちに、さらに連想が進んだのか、「なぜ韓国と日本は仲が悪くなっているんですか」という質問が出た。
 はっきり言って広がりすぎだが、せっかくの機会を切り捨てることはしない。中立性に配慮しながら、朝鮮半島の政治情勢や、領土問題の伏線にもなるように、歴史的な背景や従軍慰安婦問題、徴用工訴訟問題、嫌韓報道の問題点について、事実関係を整理して話す。高校生は基本「知らない」ことなので、かなりの時間がかかる。誤解されないようにと神経をつかう。
 「今」とリンクすることにより授業の厚みが増す。教師主導の展開であれば、日韓問題が授業にあがってくることはなかっただろう。高校生からは、現実の複雑さに戸惑い、当惑しながらも、客観的に事態を把握しようとする誠実な態度を垣間見ることができた。(了)

 

 

(1)この部分は、中川龍太「地図についてのよくある勘違い・・・正距方位図法による世界地図」https://blog.goo.ne.jp/marneyoze/e/713de4e30fed75c2d32e29a924024abdによりすでに指摘されており(2019.9.1確認)、そこから触発された授業実践を記したものである。
(2)大本綾「デンマーク人は本当に幸せなのか? 住んでわかった「幸福感」の違い」https://diamond.jp/articles/-/32485(2019.9.1確認)

 本稿の図1・図2とも、二宮書店「地理月報No.556」(2019年10月25日号)掲載時に、編集部で作成していただいたものを引用しました。