おかしな節電


 いよいよ本格的な夏がやってきた。原発停止による電力不足が喧伝され、至るところで節電が行われている。しかし、電力不足を補うための節電の方法については、いろいろと疑問が多い。

 
 オイラは四国に住んでいる。四国管内は、東京電力東北電力の電力不足とは何の関係もない(関西電力には送電が行われているので関係はあるが)。それでもオイラの住む県は、県を挙げて知事の旗振りのもと節電対策におおわらわである。徳島県 サマータイム導入へhttp://koshiro-m.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-1803.html


東電管内ですら電力は足りている


 実は、東京電力管内でも、電力は足りている。節電しすぎている。これについては、「Open ブログ」が詳しい。http://openblog.meblog.biz/article/4996911.html。「・・・・・毎日の電力グラフを保存しているからわかるが、東電は一日ごとに、最大供給量を操作している。「この日は寒いから( or 暑いから)電力需要が増えそうだ」と思うと、最大供給量を引き上げる。「この日は快適な休日だから電力需要が減りそうだ」と思うと、最大供給量をすごく引き下げる。……実際の供給量を引き上げたり引き下げたりするわけではなく、発表する数値だけを日ごとに引き上げたり引き下げたりしている。そういう操作をしている」
電力使用制限令は不要http://openblog.meblog.biz/article/4618583.html


 「人々は過剰に節電しすぎている。晴れていない曇りの日であれば、節電する必要はさらさらない。
 また、33度を超えるような暑い日ですら、過度に節電する必要はない。暑ければ暑いで、冷房を使っていい。特に、東電の電力使用状況のページを見て、電力に余裕があると判明しているときには、どんどん冷房を使っていい。
 さらに言えば、東電の電力使用状況のページを見て、電力に余裕がないと判明しても、それでもどんどん冷房を使っていい。なぜなら、東京電力の数値は、嘘の数値だからだ。本当は、その数値よりも、ずっと多い数値が確保されている」
http://openblog.meblog.biz/article/4939917.html#more


 一方、ムード的な節電対策も多く行われている。東京電力管内などでの節電は、電力消費のピークに供給量を越えないようにするのが最大の目的。そのピークとは、平日の午前11時から午後5時。この時間帯の節電こそが必要。その他の時間帯で電力をいくら節約しても、電力不足解消にはならない。逆にいうと、その他の時間帯は、エアコンなどはいくら使ってもかまわない。


エアコン停止は効果が少ない


 休日の午後は、エアコンを効かしても電力供給に支障は出ない。休日は電力消費が少ないのである。
 また、エアコン停止は効果が少ない。「エアコンを停止すると、その分、暑くなる。エアコンを切ったあとで、ふたたびエアコンを入れると、室内が暑くなっているので、エアコンを入れたときに大量の電気を食う。差し引きすれば、いくらかは節電になるが、エアコンを切った時間の分だけ節電できるわけじゃない」「午後1時から午後5時までの4時間、エアコンをつけているはずだったとする。そのうち、2時間でエアコンを切っていたとする。2時ごろの2時間と、4時ごろの1時間、計2時間、エアコンを切っていたとする。エアコンをつける時間が半分になったから、エアコンの電力消費は半分になるか? ならない。エアコンをつけている残りの2時間に、エアコンがフル稼働するからだ」「結果的には、差し引きして、少しは節電になる。しかし、大幅な節電にはならない。「焼け石に水」みたいな効果しかない」http://openblog.meblog.biz/article/4913261.html#more


 「OPENブログ」から多くを引用した。ムード的節電の無意味さを明快に述べた好ブログ。多くの人が読むべき。じっくり読んで、皆さん、電力会社やマスコミ、政府の口車に乗せられないようにしたい。政府や電力会社が言っている節電要請が、いかに馬鹿馬鹿しいかがよくわかる。


電力不足より怖いのは熱中症


 電力不足より怖いのは、熱中症。節電をした結果、熱中症になって死亡なんて笑えない話もある。政府のいうことを信用している真面目な人は、とくに注意されたい。
 平成23年6月の熱中症による救急搬送人員は6,980人。これは、昨年6月の熱中症による救急搬送人員(2,276人)の3倍強。うち死亡者は14人。
http://www.fdma.go.jp/neuter/topics/houdou/2307/230712_1houdou/01_houdoushiryou.pdf



もう一度書きたい


 「電気はこまめに消しましょう」「水道の栓はきちんと締めましょう」といった、個人のモラル向上で事足れりとする環境問題学習の何と多いことか。それだけで終わると、政府や電力会社のいうことにコロリとだまされる国民を作ることにつながる。(たとえばこういう取り組みですね。「平成23年度 学校CO2CO2(コツコツ)削減コンテストin徳島のご案内」http://tccca.org/archives/2432


 環境問題を解決するためには、社会のあり方を視座に入れねばならぬ。国や地方公共団体の行政責任や、企業責任を問い、それを改善するために、何らかのアクションを考えるところまで踏み込まなければならぬ。今の社会システムを批判し行動する力を養わねばならぬ。社会を変革しなければならぬ。しかし、実際の環境教育の多くは、自らの節約モラルを適応主義的に高めていく、そんな人間像しか作り出してこなかった。


 より抽象度の高い学習が可能な高校生に「電気はこまめに消しましょう」「水道の栓はきちんと締めましょう」などという教育は、本当につまらない。環境問題を矮小な実践に落としこんでしまうから、もっと大きな環境問題の切実さが見えなくなってしまう。
 「原発が止まると電力が足りなくなるから一般市民も節電を」という言説を、簡単に首肯する国民を作ってはならない。それは奴らの思う壷である。