土佐高等学校演劇部『化粧落し』作/竹内 葵



 第36会四国地区高校演劇研究大会の最優秀に選ばれた作品。卒業式の後、教室に残った仲良し4人組。心の奥底に秘めていた繊細な思いがリアルに交錯する。心の裂け目から、衝動の深さと残酷さがふと見える、かなりコワい作品。


 12月25日のエントリーで、「高校演劇は多かれ少なかれ不完全であり、その不完全なことこそが魅力である」と書いたが、それはこの作品を見て感じたことだった。おそらく意図的だと思うが、この作品、説明的な描写がほとんどない。卒業式(終業式?)後の話である、という設定に関する基本的なことすらストレートに触れられない。舞台は教室で、正面奥にある黒板には、卒業式後の落書きがいろいろと書かれているはずなのだが、それもない。正面奥には大黒幕。精神の暗黒世界へ続く、真っ黒なブラックホールが開いているように見えて、とても大胆で印象的な処理である。


 また、作者は「同性愛」という言葉を使わない。登場人物たちは、友達と恋人のあやふやな境目にあって、好きなのかどうかもわからない。未だ経験したことのない感情に戸惑い、突然の衝動に身をまかせながら、かけがえのない、自分たちの関係の実相を模索する。いま=ここにある一瞬一瞬の関係性の連続に、作り手の関心がまっすぐ向かっている。演技も受けというこれを演劇と言わず何を演劇と言おう。


 台本は非常によく書けていて、気持ちの流れを丁寧にすくいとる。おおっと思ったのは、終盤、同性の恋人(友人?)からもらったブレスレットを切って、登場人物が言う場面。「好きかどうかなんてわかんないよ。けど、これつけてたら、好きな気がしちゃうから」はっとさせられる、印象的なセリフ。


 ブレスレットは恋人の印。恋人がいることを周りや自分に確認することが大切なのではなく、自分が本当にすきなのかどうかが大切。だからブレスレットは邪魔になる。常識や先入観にとらわれず、それを切り落としてみる潔さ。それは、この作品が、定型的で類型的な表現に陥ることを潔しとせず、説明的な描写をそぎ落とし、まっすぐ「演劇」に向かう純度の高さと重なる。


 我々はレッテルを貼りがちだ。「同性愛を描いた問題作」「卒業を描いた感動物」等々。この作品は、レッテルによりかかった定型的で類型的な表現とは対極にある。この志の高さを見抜き、高く評価したことに、審査員長(内藤裕敬)の演劇観の純粋さを見た。


 もし関係者の方がご覧になるなら、以下は全国大会へのアドバイス。作品の純度の高さを認めたうえで言う。描けていない箇所を、もう少し表現すべきだ。もっと適切で、説明的にならない表現は、無数にあると思う。適切に「表現」さえすれば、もっと饒舌でも、この作品の価値はいささかも減じない。攻める芝居作りをしよう。


 とくにこの作者、セリフの力に頼りすぎているのが気になる。具体的にあげると、たとえば、4人の描き分けが、観客に実感されるまで、かなり時間がかかる。冒頭「リング」の貞子ごっこを4人でするのだが、4人ではなく3人にして、そのサマを後から登場してきた一人に突っ込ませる。そのことで、立場の違いを出したりすることが可能になる。いろいろと試してみること。
 もっと印象的で鮮烈な表現は、きっとある。