第27回高知県高等学校演劇祭 その7


上演8 高知東高 石原哲也作「クロスロード」


 今回の演劇祭では、高校演劇の全国大会に出場するような、有名な作家の既成作品は、ほとんど上演されなかった。参加校が増えたことで「上演時間は45分まで」という制限がかけられたせいだろう。高校演劇の既成作品の多くは、上演時間が60分。そのままでは45分の枠に収まらないから、ネット脚本や生徒・OB創作が用いられたのだろうと思う。


 今回唯一の高校演劇畑の作品が、この「クロスロード」である。既成の優れた作品を上演する安定感を覚える。例えれば、確かなデッサンに基づいた「下書き」がすでにできている状態というべきか。この演劇部の皆さんは、余計なことはせず、素直に既成台本をなぞって上演を終了した。必要以上に声を張ることもなく、観客を笑わそうという欲もない(ように見えた)。力が抜けている。余計なことをしない。よくも悪くも棒読みで、必要以上に表現しようとしない。これらはおそらく無自覚に行っているのだろうが、舞台の上にあがっているにもかかわらず「演じない」という行為が、ある意味とても新鮮で、非日常的だった。舞台の上に「演劇」を立ちあげるもっとも根源的で理想的な状態は「素舞台」に「素の役者」。舞台の上では誰もが「懸命に演じる」という「当たり前の行為」「日常的行為」を無自覚におこなってしまうことが、実は類型的表現に陥る第一歩である。「たたずむこと」「ボーッとすること」自体はとても前向きで批評的な営みだとオイラは思う。


 もちろん「何もしない」「無欲で舞台に立つ」だけで、演劇がたちあがるとは限らない。「何もしない」ことの批評性を立ち上げるために、先達は、いろいろな企みを練っている。映画では、小津安二郎北野武、演劇畑では、ベケット別役実平田オリザ宮沢章夫しかり…。見せるということについては、皆、結構したたかだとオイラは思う。


 また、おそろしいことに、主役の教師役の生徒は「代役」(!)で、終始台本を持って舞台にあがっていた(!!)。どんな事情があったのかは知らないが、この状態でも上演に穴をあけず、出場した律儀さは買うし、代役を演じた役者の根性は賞賛すべきだろう。もちろん、そんなことにならないように稽古と準備に細心の注意を払っておかなければならないのではあるが。


 「先生は36歳とおっしゃったけれど、昭和40年生まれですか」というセリフがある。このセリフから、この本の書かれた時期および、舞台となっている時期は2001年頃と推定される。そのあと「われら青春を見た」とか「中村雅俊の「ふれあい」が」という掛け合いに続いていく。2013年に生きる観客は「おやっ」と思う。だから普通であれば2013年の話に改変してしまう。「先生は36歳とおっしゃったけれど、昭和52年生まれですか」「金八先生の再放送を見た」とかにしてしまう。だが、この演劇部の人は、台本どおり。「36歳で昭和40年生まれ」で平気でやってしまうのである。その徹底した無自覚さ。むきだしの怖いもの知らずさが舞台にあって、その大胆さとマネのできない素直さに、オイラはハラハラドキドキし、底知れなさを覚えたのだった。


 ただ、逆に、どれだけ支離滅裂な台本であろうと、役者と演出の力によって「演劇的なもの」を立ち上げることはできるということは記しておきたい。それがネット脚本だろうと、いわゆるどんな「ダメな台本」だろうと。3年続けてこの演劇祭に呼んでいただいて、オイラはそのことを確信したのだった。