「SAPIO」2012年8月1・8日号「首相官邸前に集まった人々が突きつけたのは「物を考えない国民にはならない」という切実なNOである」佐野眞一

SAPIO (サピオ) 2012年 8/8号 [雑誌]

SAPIO (サピオ) 2012年 8/8号 [雑誌]


 首相官邸前の再稼働反対デモが盛り上っている。普通の人々が、自らの意思で集まり、生活観に根ざした切実な声を上げる。当初このデモは、国内メディアによって徹底して無視された。同時に、切実な実感に根差した「声」すらすくいあげることのできないこの国のマスメディアの「どうしようもない鈍感さ」が、多くの人々の前に露呈された。


 この再稼働反対デモに対して、雑誌「SAPIO」2012年8月1・8日号に、「あんぽん」などの作品で知られるノンフィクション作家の佐野眞一が「首相官邸前に集まった人々が突きつけたのは「物を考えない国民にはならない」という切実なNOである」という一文を寄稿した。


 (これより引用)
 ・・・・何よりの問題は、再稼働のなし崩し的経緯が象徴するように「いったん作られたシステムはあまりにも簡単に再び動き出す」という事実である。
 この国の商用原発50基が、定期点検も含めて42年ぶりにすべて停止したのが今年5月5日。そこから再稼働までの期間は、日本人が主体的に自国のエネルギー政策について考える最初で最後のチャンスだった。
 実際、考えに考えた国民は少なくなかったと私は思うが、結果的にはその時点での民意すら確認されないまま再稼働のゴーは出た。おそらく今後もなし崩し的な再稼働が相次ぐものと思われる。「考える機会」は、強制的に奪われつつあるのだ。


 奪っているのは、野田首相である。私は首相就任時に泥沼に棲む覚悟を語った「ドジョウ」がここまでアッサリ再稼働を決めたことに驚き、松下政経塾出身の彼の体質と、泉下の幸之助翁の胸中に思いを馳せた。・・・・(中略)・・・・私が「巨怪伝」(94年・文藝春秋刊)に書いた原子力の父・正力松太郎は、戦後日本の復興に原発導入は欠かせないとの一念から政官財の癒着のど真ん中に原発をビルトインした張本人だが、その功罪は別として、彼の原発導入に費やした熱量は半端ではなかった。そして戦後社会の骨格を良くも悪くも作り上げた彼らの多くが没して久しい今、涼しい顔で経済合理性を語る首相はシステマティックに再稼働をやってのけ、単にモノを右から左に動かすかのような絶望的に少ない熱量が国民を憤らせ、デモに向かわせているような気がする。


 ・・・・(中略)・・・・いずれにせよ様々な場面で制度疲労を起こしている戦後システムの再構築がこれほど叫ばれながら、一度動き出したものを止めるだけでもいかに難しいかを、我々は知ってしまった。しかしその失意が、諦観ではなくデモの形で表現されたことは一つの希望だろう。すなわちそれは「この機会を逃せば永遠に物事を考えない国民に成り下がってしなう」窮地に立たされた日本人が「考えるチャンス」を手放そうとしなかった意思の表われであり。あの日、あの一見静かな行進を通じて人々が突き付けたのは、原発反対以前に、そんな国民にはなりたくないと言う「僕」や「私」の切実なNOなのだ。
 (引用終わり) 


 再稼働反対デモは、国民の多くが関心を持ち、国のエネルギー政策の根幹を問う、国民からの投げかけである。それに対し、野田首相やマスコミは、「無視をする」「形通りの対応をする」「システマティックに物事を進める」といった、佐野眞一言うところの「熱量の少ない」対応を取った。その熱量の少なさこそが、多くの人々から考える機会を奪い、野田首相やマスコミを、非人間的で血が通っていないように見せている。


 世の中を動かすのは、いつの世でも「熱」である。日本最初の人権宣言として知られる1922年の「水平社宣言」にも『人の世に熱あれ、人間に光あれ』と記されているではないか。世の中を動かす基本が忘れられているようにオイラには見える。