ヒーローショー


ヒーローショー [DVD]

ヒーローショー [DVD]


 今回井筒和幸監督の作品を立て続けに見たのは、生々しい若者の「今」を、様式化や美化を施さず、未熟さや輝きが混然となったままのリアルな状態で描いていることを確認しようと思ったからである。どんな仕掛けで少年たちの存在感や佇まいを立ち上げているのか知りたかったのだ。それはある意味確認できたが、思った以上に高度で鮮烈なやり方に、舌を巻くと同時に、なかなか真似はできないなあと実感したのだった。


 「ヒーローショー」は、井筒和幸監督の2010年作品。戦隊もののヒーローショーのバイトで偶然知り合った男女が、恋愛のもつれをきっかけに、殴り合いからとりかえしのつかない暴力にエスカレートする。主演はジャルジャル福徳秀介後藤淳平吉本興業の漫才師を主人公に据えるところまでは「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」と同じだが、舞台は関西ではなく千葉。コミカルさよりも、陰惨でショッキングな演出。実際に起こった「東大阪集団暴行事件」を下敷きにしているとのこと。そのリアルさには正直目をそむけたくなるほどだった。


 「爆裂! アナーキー日本映画史1980−2011」にはこうある。「「ぶっ殺すしかねえだろう」「フルボッコにしてやる」ちょっとやんちゃな若者なら、やんちゃな若者でなくとも男子なら一度や二度口にしたことがあるだろう。この映画ではそんな軽い言葉に背中を押され後戻りできない地点に到達してしまう。実際人を山で埋めて殺してしまう場面に至って、当人たちはうろたえながらも、底の浅い男らしさ、軽率な友情、間違ったその場のノリなどにからめとられて後戻りする機会を失ってしまう。果たして自分がもしその場所にいたらその空気に逆らうことができるだろうか。できるとはまったく言い切れない恐ろしさが描かれている。暴力はアクション映画のかっこよさは微塵もなく、コブシや金属バットやゴルフクラブで殴られるなど息が詰まるほど痛そうであった」(古泉智浩


 この映画の中の、どこにでもいるような「軽い」若者たちは、我々自身でもある。我々が残酷な殺人を犯してしまうまでの距離は、それほど遠くないということを、この映画は改めて教えてくれる。井筒和幸監督は、暴力をリアルに撮ることについて、インタビュウでこう述べる。


 「暴力のシーンは雑にやると、何の時代の空気も伝えられず、ただの見せ物になってしまう。そういうことは絶対にしたくなかったから、丁寧に細かく撮ったんですよ。だから、観るとイヤだと思うでしょ。でも、観ちゃうでしょ。それこそが人間の持ってる深層心理。今の時代はリアティーを求めてるんですよ」(1)
 「今の青春映画は、暴力をエンターテインメントとして描いているでしょ?本当にバットで殴ると人は死ぬんだぞ。そう簡単に暴力を享楽物にするなよ。ということですよ」(2)


 暴力に対する批判もなく無自覚・様式的に描くことこそが、本当は恐ろしいと井筒監督は言う。この映画は、あえて暴力をリアルに描くことによって、暴力の恐ろしさや陰惨さを逆説的に伝える。暴力を描きながらも、芯の部分で暴力に対する批判性がきちんと伝わってくる。その点が「暴力」を描く凡百の作品とは一線を画す。こうした表現を選択するラジカルさをオイラは見習いたい。


 「映画から、バイオレンスと性描写がなくなって久しいからね。本当なら、映画にとってこの2つは、体で言えば『胃』と『肝臓』のようなもの。ところが今の映画は、この2つの内蔵を摘出してしまったものが多い。今回の作品には、『タナトス(死への欲求)』と『エロス(性)』という人間の2大欲望をちゃんと入れたかった。『タナトス』と『エロス』が見られるのが映画の特権だから。そうしたら、『R−15』になっちゃった(笑)」(3)


(1)マイナビニュース【インタビュー】井筒和幸「芸能は人間の苦しみを和らげてくれるもの」
http://news.mynavi.jp/articles/2010/06/03/hero/index.html
(2)エンタメ〜テレ最新映画ナビ『ヒーローショー』井筒和幸監督 インタビュー
http://eiganavi.entermeitele.net/news/2010/05/post-bb58.html
(3)「映画「ヒーローショー」井筒和幸監督インタビュー−yorimo」
https://yorimo.yomiuri.co.jp/servlet/Satellite?c=Yrm0402_C&cid=1221752446069&dName=Yrm0402Def&pagename=YrmWrapper