富岡東高羽ノ浦校演劇部「避難」



 とある学校、何者かによって鳴らされた不審者侵入の警報機。全校生徒が運動場に避難しているとき、音楽室には二人の女生徒が残って避難の様子をヴィデオカメラに収めていた。避難の様子を映画の一シーンとして使うためだ。一人は「高校生映画監督」として賞を取った学校の超有名人で生徒会長のハセガワ、もう一人はハセガワに憧れるいじめられっ子のイトウ。ハセガワは、イトウを題材にいじめのドキュメンタリーを撮っていた。利用されているかもしれないイトウは、二人でいることが純粋に嬉しくて浮き浮きしている。ところが、リアルタイムでもっとひどいいじめを受けている下級生が現れたことで、二人の間にさざ波が立つ・・・・。


 遅くなったが、11月23日〜25日に行われた高校演劇の徳島県大会最優秀校のレビュウ。完成度が高く非常に凝った舞台で、とても印象に残った。物事には「表と裏」がある、そのテーマを際立たせるために、台本の内容や舞台美術などを重層的に構成して、高度なレベルでまとめあげた手腕こそ高く評価されるべきだと思う。


 具体的に言うと、ひとつは構成の周到さである。「表」には不審者侵入により避難した人々を(そのなかには避難していなかった3人の生徒も含まれる)、「裏」には音楽室に隠れていたハセガワとイトウを配し、それぞれの事情を交互に描いていくことによって、隠された真相が観客の前に徐々に明らかになっていく。同時にハセガワとイトウの繊細な心の「表と裏」にも焦点を当て、その化学変化を丁寧にすくいとる。その結果、人は多面的な存在であり、見方によっていろいろな面を持つという作品のメッセージが、非常に強く立ち上がってくる。


 もう一つは凝った舞台美術である。音楽室のセットは非常に丁寧でしっかりした作り。窓には紗幕を張り、矩形の照明エリアで前奥に分け、窓の向こう、つまり奥では外部者の話が、前では音楽室内のハセガワとイトウの話が進行する。このセットのおかげで、台本の構成上、必要不可欠な多数の場面転換が常に一瞬で行われ、観客の集中を切らさない。それどころか、ラストでは、内部と外部を反転してみせる。さりげなく劇中でかわされた会話をもう一度リフレインしてみせることにより、同時に登場人物の心の刻印の深さが、よりくっきりと浮かび上がるしかけである。


 オイラの説明では少々わかりにくいと思うが、興味の湧いた方は、ぜひ四国大会で確認してほしい。高校演劇ではよくある「単サスによって短い場面を見せる」といった、ある意味安直な手法をあえて避け、凝った手間のかかるやり方で、テーマをより明瞭に明らかにしていこうという目論みが、見事に形となっている作品である。そうした努力と成果は、きちんと評価されるべきだし、そういう部分こそ具体的に指摘しあい見習っていかなければならない。


■[教育][演劇]第37回四国地区高等学校演劇研究大会
  http://d.hatena.ne.jp/furuta01/20121205/1354831207