ほこりをかぶる? 電子黒板


 2009年5月、麻生内閣の経済政策として、電子黒板が全国の小中学校に配られることが決定されたとき、オイラは次のように書いた。


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 追加経済政策の教育支援に疑問




 追加経済政策として、全国の小中学校に「電子黒板」が配られるのだという。


 予算は学校全体の電子化を含め四千億。財源は、三年後の消費税アップ分。今以上に「広く」国民に負担を求めるのだから、最大公約数の国民に納得いく形で、バランス良く配分するのが筋だろう。


 しかし、教育支援として見る限り、今回の電子黒板の配布は、無駄な事業に思えてならない。電子黒板は「なくてもいいもの」だからだ。


 地方の疲弊とともに、真に必要なものも買えなくて困っている学校も多い。各学校の優先順位にしたがって、使途を選別せずに、必要なものを買えるようにできないものか。


 熊本県玉名市では、地域活性化・生活対策臨時交付金をもとに、学校の備品購入費として、市内の二十七の公立学校に百万づつ配るという。こういう柔軟な予算措置の方が、学校としては望ましいのではないか。


 一千億かけての学校への太陽光発電の設置もそうだが、教育支援と宣伝される政策が、本当は一部の電機機器メーカーへの、あからさまな製造振興対策に過ぎないとしたら、それはとても貧しいカネの使い方だと僕は思う。


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 電子黒板のことは、あれからすっかり忘れていた。思い出したのは、「まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育」(有元秀文、合同出版)という本を読んだからだ。この本の中に「ほとんどの学校が未使用に近い状態で、ほこりをかぶっている(139ページ)」との指摘があったのだ。そのフレーズを目にして、オイラは電子黒板のことを、すっかり「忘れていたこと」に気がついた。そして小中学校の現場でも、多くの教員は、その存在すら忘れてしまっているのではないかと、ふと思ったのだった。


 電子黒板だけには限らない。学校では、設置に時間がかかる等、ハンドリングの悪い機材は、あまり使われない。それは「使いこなせる教員が少ない」「教員のリテラシーが低い」という以前の問題だ。学校の授業の多くが相変わらず黒板にチョークなのは、すべての教室に設置されていて、すぐに使えるからだ。


 学校は行動の「型」で動いているから、この「型」を破る行動を取るにはエネルギーが必要だ。「手続きや許諾を受けなければならない」「前もって準備しなければならない」「子供が移動するように指導しなければならない」など、思った以上に手間がかかるのが、忙しい教育現場では煩わしいのである。


 そうした視点は、各学校の情報教育担当者や視聴覚教育担当者が集まる会合などでは、おそらくほとんど議論されないポイントだろうとオイラは思う。電子黒板を使った優れた教育実践は、もちろんある。そうした実践をオイラは否定しない。しかし、輝かしい実践の成果だけを見ていたのでは、電子黒板が埃をかぶる理由は見えてこない。


 2009年当時、財政支出を正当化する理屈として「ワイズ・スペンディング(賢い支出)でなければならない」ということが頻繁に言われた。電子黒板は、当時70〜80万した。電子黒板の配布は、果たして「賢い支出」だったのだろうか。教育に対する行政支援のあり方も含めて考えるべきではないかとオイラは思う。


まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育

まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育