池井戸潤「オレたちバブル入行組」文春文庫 と テレビドラマ「半沢直樹」



 大ヒットしたテレビドラマ。同居人が「ぜひ見たい」というので、毎週実家に帰って観たのである(オイラの家にはテレビがないのだ)。


 演技的にはケレンミたっぷりの、いまどき珍しい「大芝居の現代劇」。いささかクドいほどに、アップ多用でちょっとした目線の動きや表情の変化を追う。さぞ役者は気持ちのよいことだろう。歌舞伎関係の出演者が多いというのは、そういうことなのか、と、ちょっと納得する。


 ただ、テレビでは、「やられたらやり返す、倍返しだ」という決めセリフが頻出するのには、いささかげんなりする。「倍返し」の論理は、報復の論理。倍返しされた方は、必ず相手に恨みを持つ。これでは復讐の連鎖は止まらない。世界中で紛争や内戦が止まらないのも、お互いが報復の論理にとらわれているからだ。


 テレビだから、視聴者の求めるものを単純化して差し出しているわけで、それに目くじらを立てるのも大人気ないが、「倍返しだっ!」と言うときの、堺雅人のほとんどイッちゃっている目を見るたびに、オイラは何だか複雑な気分になった。


 テレビドラマと比べると、原作小説は、もう少しドライだ。たとえば嫌な上司や取引先が出てきて、半沢の妨害や嫌がらせをするのは同じだが、ドロドロした恩讐の部分はテレビドラマほど強くはない。「正直なところ、半沢は、銀行という組織にはほとほと嫌気がさしていた」(353ページ)」といった文からも分かるように、原作の半沢は銀行というシステムを醒めてみているようだ。


 また、原作では、「倍返し」という言葉は、テレビドラマほど頻繁には使われていない。銀行に融資を打ち切られて、半沢の父親が首吊り自殺をしたというテレビドラマの設定もない。原作では、半沢の父親は健在である。


 テレビドラマの半沢直樹は、報復のゲームに熱中している、ドラマ的演出が色濃く反映された、少々いびつな人物に見える。シニカルさがどこかに漂っていて、復讐を果たしながらも、あっけらかんとしている原作の半沢直樹の方が、オイラはまだ感情移入がしやすいと思う。


 テレビドラマのように、毎週「倍返し」「10倍返し」「100倍返し」してると、半沢直樹の報復の総量は、天文学的な量になるんじゃないか。そういえば、1994年のルワンダ内戦。火をつけたのが「殺せ、殺せ」と国民を焚きつけたラジオだった。


 メディアはいつも、「倍返し」をあおるのである。



オレたちバブル入行組 (文春文庫)

オレたちバブル入行組 (文春文庫)