呪いの言葉にあらがう
本年度から人権教育係に復帰である。今年度は校内で「人権新聞」を発行している。この記事は7月発行の分。
前の学校でもよく似た文を書いたが、内容を一歩前へ進めた。
生きているかぎり、社会的な立場からは逃れられないが、教師だからといって、ことさらに「教師らしく」しているわけではない。むしろ逆だ。個人として書けることを、ギリギリのところで書く。学校に漂う「呪いの言葉」には負けない、同志ととともに、それがオイラの「自由に生きる」ための一歩だ。
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人権作文の書き方ガイド
一・二年の人たちは、夏休みに人権作文が宿題として出されるわけですが、みなさんなら何を書きますか? よくある疑問を、Q&Aでまとめてみました。もちろん三年の人も、読んでみて下さい。
Q1.誰かの作文を拾ってきたらバレますか。。
A.はい。バレます。
言葉には書いた人の姿が見えます。あなたの言葉と他人の言葉をなじませるのは難しいでしょう。今は剽窃や引用をチェックするソフトもあります。
あなたの人間的評価が下がってしまうだけなので、やめておいた方がいいでしょう。
Q2.実体験もなければ、身の回りに差別などありません。どうしたらいいですか。
A.見落としていませんか?
何気ない会話等の中にも、考えるヒントがあります。ひょっとしたら、あなたが気づいてないだけかもしれません。「常識だ」「当たり前だ」と思っていることがらや、何でもない心の動きの中にこそ、ヒントが隠れているのだと思います。
Q3.作文を書くうえで、気をつけることは何ですか?
A.「差別はいけない」といった、ありきたりの結論は避けましょう。
「差別はいけない」ことなら、誰でも知っています。当たり前のことを書いても、人の心は捉えられません。あなたの視点は、あなただけのものです。自分の感性を大切にして、あなたでしか書けないことを書くべきです。
立派なことを書く必要などありません。変にきれいにまとめなくてもいいです。じっさいに考えたことを、あなたの素直な言葉で綴りましょう。
なぜ「自分の言葉」で語るべきなのか
ここからが言いたいことであります。
突然ですが、田村由美「ミステリと言う勿れ」(フラワーコミックスα)というマンガが面白いです。ミステリ仕立ての少女マンガなのですが、推理から離れて、人間観察の鋭い探偵役の主人公の言うセリフが鋭くて心に残り、オススメです。
で、美形で細面の主人公が、こんなことを言っています。
「「女の幸せ」「女は愛嬌」「女の武器は涙」なんて言葉は、女の人から出た言葉じゃきっとない。だから間に受けちゃダメです。女性をある型にはめるために生み出された呪文です」
そういえば、誰かに都合のいい「常識」を、人に押しつけるために使われる言葉って、いたるところに転がっている気がします。
「女のクセに」「男らしく」「○○はアホばっかり」「障がい者はかわいそう」「自己責任だから仕方ない」「逆らっても無駄」「いじめられる側にも問題がある」……とキリがありません。
手垢のついた他人の言葉を使うということは、こうした言葉も無造作に拾う可能性が高まるということです。「常識」っぽい言葉を受け入れていると、思考の枠組みが狭められ、型にはめられた行動がしみついてしまいます。無自覚なのでなかなか抜け出せません。
それを打ち破るには、深く考えて、あなたの生活実感や経験から出てきた具体的で腑に落ちる言葉、つまり「あなたの血肉となった言葉」で語ることしかないと思います。
借り物の言葉に縛られていないかチェックして、自分の価値観に基づき、自分の思ったことを語る、それがあなたが「自由に生きるための一歩」になるのだと思います。人権作文を書くとは、そんな訓練に他なりません。あなたの思いを人に分かってもらわなければなりませんし、納得のいく文章は、なかなか書けないものですが、じっくりと取り組むことは、とても意味のあることだと思います。
やっつけ仕事で通りいっぺんの、手垢のついた抽象的な言葉でお茶を濁すより、自分の中の差別意識と向き合って、自分の言葉で人権について書いてみませんか?
健闘を期待しています。 (古田)