「カーサ ブルータス」2005年4月号





 建築とデザインを扱った雑誌「カーサ ブルータス」は要注目である。一見、ファッション雑誌とみまごうような装丁と内容の雑誌が、批評性や思想性をまとっていることに驚かされるからだ。

 どうしてこういうことが可能なのか。そのことを考えるために、五十嵐太郎の言葉を引用しておこう。


 建築と美術の違いは、空間があるかないかよりも、理屈にこだわるかどうかだと思う。研究者のみならず、建築家もロジックが好きである。設計教育でも、論理的な説明を求められることが多い。こうした体質が刷り込まれている。逆に言えば、建築的なものであっても、論理がなければ「建築」だとみなされない。建築が哲学のメタファーとされるのは偶然ではないだろう。ともあれ、ルネサンス以降、建築は作品だけに完結せず、言説の媒体として書物を重視してきた。(五十嵐太郎「建築とアートがわかる」美術手帖2005年1月号)


 「建築には論理が不可欠」これが、「カーサ ブルータス」に思想的な息吹を与えているのかも知れないと僕は思う。オシャレ雑誌を装っても、建築/デザインというジャンルの持つ特性が、雑誌に思想性をまとわりつかせているのだ。資本主義的欲望に忠実でありながらも、知的好奇心を満たす雑誌となりえている点において、この雑誌、僕にはとても面白く読める。4月号は「スーパーシティ東京総力特集」。

 

 (1)

「ファッション建築/ブティック建築最大の巡礼地=東京に、噂のあの男が現れる」という特集ページは、フレデリック・ミゲルー氏に東京のブティック建築について批評してもらい、それらの建築的価値の考察とともに店の紹介をしようというページである。

 フレデリック・ミゲルー氏は、ポンピドゥー・センター建築・デザイン部門チーフキュレーターであり、六本木ヒルズ森美術館でおこなわれていたアーキラボの影の立役者。取り上げられているブティックは、PRADAブティック青山、トッズ表参道ブティック、メゾンエルメスルイ・ヴィトン表参道ビル、ルイ・ヴィトン六本木ヒルズルイ・ヴィトン銀座並木通り店、ディオール銀座、ディオール表参道。これらの設計をおこなった建築家、伊東豊雄青木淳、SANAA(妹島和世西沢立衛)のインタヴュウを併載することによって、それぞれの建築的意義を明らかにしていく。

 もちろんオシャレ雑誌でもあるから、ルイ・ヴィトンプラダなどの広告も豊富だ。これらの視覚的イメージは、モノに対する憧れを刺激し、ブランドに対する信仰を強化する。

 ブランド品がブランド品である所以とは何か。他の商品よりも高い価格を保っているもっともらしい理由は、「品質」に加え「優れたデザイン」である。とくに発展途上国の製品でも、それなりの品質を備えつつある現代、デザインの重要性はとみに増していると言える。デザイン雑誌がクオリティの高いブランドを取り上げるのは必然と言えよう。

 しかし、それでは終わらない。「カーサ ブルータス」は、実験的な建築が、東京ではファッションブティックを舞台に行われるというのは、世界でみれば特殊な状況であるということを指摘するのである。これは文化論としても、考えるポイントであるように思う。まさに建築的な視点からの指摘であると言えよう。


 (2)

 特集中で僕が一番面白かったのは「あのアーキグラムに「東京未来図」を描いてもらいました」というページである。1960年代、「移動する都市」などの突拍子もないアイデアで人々を驚かせたイギリスの建築家集団「アーキグラム」。この人たちに東京の街を歩いてもらって、建築批評をおこなってもらおうという内容だ。

 以下は「アーキグラム」の人たちのコメントだ。「東京は世界の中でも特に消費主義が圧縮された街だ。でもちょっと休める広場などのパブリックスペースが少ないし、社会的な豊かさにつながるような建物がみられなかったのは残念(ディビッド・グリーン)」「すべてが上に向かって伸び続けているような、わくわくする都市だ。でも建築的には成功しているとは思えない(デニス・クロンプトン)」「アーキグラムの理想が実現されているかって? 答えはノーだね(ピーター・クック)

 彼らの指摘は手厳しい。しかし特集では、こうした意見の表明だけに終わらずに、彼らに見開き2ページにわたって「理想の東京」を描いてもらっているのである。ドローイングあり、コラージュあり、変則的な段組ありで、この2ページはとても楽しい。これらは、東京の現状に対する批判にもなりえているし、ユニークな都市論の表明でもある。


 (3)

 その他のページについて、印象に残ったところを記しておこう。

 「お宅拝見!/スーパー住人in六本木ヒルズ」は、六本木ヒルズのレジデンスに住んでいる、言わば「勝ち組」の人たちのお宅拝見コーナーである。ある意味、非常にミーハー的でセレブに対する無邪気な欲望丸出しのコーナーであるが、いやらしさは感じない。なぜだろうか。

 「タイムスリップグリコ大阪万博編」や「バングラデシュで謎の建造物を発見!」といったページも目を引く。こうした守備範囲の広さは「ブルータス」の面目躍如だろう。

 また、「勝手に広告(中村至男+佐藤雅彦)」という、毎回いろいろなモノの広告を勝手にやってしまう連載ページがあって、広告に対する無言の批評になりえていて、とても興味深い。


 オシャレなレイアウトとキャッチーなコピー、クオリティの高い誌面作りは毎号感心させられる。毎号楽しんでいる読者としては、願わくばこの勢いを続けてほしいものである。